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「Smells Like Teen Spirit」を和訳してみました。

更新日:7月10日

Nirvanaの歴史的名曲

『Smells Like Teen Spirit』の和訳サイトを見ていて、


すごく分かるなぁと思うものと、


これはあれだ、マジメに取り組むべき部分が曖昧なまま、

元々にして曖昧なものが余計曖昧になって

よく分からなくなってしまったな…という部分もあったり、大渋滞。


私自身が若い頃に受け取った意味合いで素直に歌っていたんですけど、それすらも誰かと分かち合う時が来るなんて、本当に時代を超えた名作です。


今回、参考にした動画。ネイティブの感覚で、当時の空気感ごと伝えてくれています。「カートは暗い人だから、遊んでいるというより皮肉的に言葉の遊びで表しているんだと思います。」と言ってる通り、皮肉な世界観です。「Teen Spirit」というデオドラント剤のCMも観ることが出来ました。(3種類くらいあったのだねぇ~)

正直、これを歌いこなすということは、

カートの世界に片足を突っ込んでいる状態でないと説得力がないと思うんです。


ただ「カッコいい」、だから「演りたい」では成立しない、

退廃的な思想が混じっている。皮肉もある。

それゆえに自〇を選びそうなくらい。


私も緩やかな自〇を選んでいるような、

半ばこの世を皮肉りながら諦観するようなところがあるので、


歌っていて何も違和感がないのが正直なところ。

それが救いでした。(救いと言っていいのだろうか💦)


「表面的な直訳」ではなく、カート・コバーンが当時のアメリカの空気感のなかで叫んでいた「ネイティブ寄りのリアルな概念」、「ネイティブが見ている裏の文脈」と「カートが仕込んだ言葉の罠」の本質を、解体してみます。



まず、バンド名の「Nirvana」って何?から始まる物語。


私も英語学習をし始めた学生時代に、普段の生活英語から自然に出会う単語ではなかったので辞書を引きました。おそらく。


そして読んでみると、「涅槃(ねはん)」の文字。なんじゃそれ?ってなったようなw


じゃあ、涅槃ってなによ?となるんですが、


タカギの脳内でのファースト・イメージには「どこかの寝そべりながら薄っすら目が開いているような、開いていないような、大仏様」を思い浮かべました。


「NIRVANA(涅槃)」というバンド名に隠された、かなり皮肉な内訳を解説すると、


🪷 「涅槃(ニルヴァーナ)」の本来の意味


サンスクリット語の「ニルヴァーナ」は、直訳すると「吹き消すこと」。

ロウソクの火がフッと消えるように、


人間のあらゆる煩悩(物欲、性欲、自己正当化、執着)の火が完全に消え去り、一切の苦しみから解放された「究極の静寂・悟りの境地」を指すのだそう。


ねっ?寝そべっている、気楽そうな大仏様だ。


輪廻転生(終わらない地獄のループ)から抜け出した、

仏教における最高のゴール。だそうです。


🎸 カート・コバーンがこの名前を選んだ理由


カートはバンド名を決めるとき、

当時流行っていた他のパンクバンドのような

「安易で、汚くて、攻撃的な名前(地獄、血、死など)」

を徹底的に嫌ったそうで。カートらしいですね。


あえて真逆の、最高に美しくて清らかな

「究極の平和(精神の救済)」を意味する言葉を探し、

行き着いたのが『NIRVANA』。


しかし、ここにカートらしい凄まじい皮肉(アイロニー)が効いています。


アイロニー、このブログ主もかなり皮肉っぽいので、

分かりやすいことを徹底的に良しとしないところが似ているなぁと思います。

バンド名を決めるときにはかなり皮肉を効かせるほうです。



🎸パンクの爆音で「静寂(涅槃)」をぶっ壊す皮肉


「一切の音が消えた静寂の境地」を意味するバンド名なのに、


彼らが鳴らしたのは、鼓膜をぶち破るようなディストーションギターと、喉を引き裂くような叫び声(カオス)でした。


「地獄のような現実」とのギャップ

彼らが歌ったのは、ドラッグ、孤独、自己嫌悪、そして思考停止した社会への絶望。


つまり、もっとも「涅槃(悟り)」から遠いドロドロの地獄にまみれながら、頭上の看板にだけ『救済(ニルヴァーナ)』と掲げてみせたのです。


バンド名は


『涅槃(あらゆる苦しみから解放された悟りの境地)』。


なのに、彼らが放った最大のヒット曲

『Smells Like Teen Spirit』で歌われているのは、

解放どころか、商業主義とバカな大衆に絡め取られて

泥沼に堕ちていく若者たちの姿だった。


という、皮肉な状況が起きてしまった。


カートがSmellsを歌うのを嫌がっていたというロック雑誌での記事やアルバムのライナーノーツを読んだことがありますが、そりゃそうなりますよね…。


究極の救済を歌うはずのバンドが、なぜここまで冷え切った絶望を叫ばなければならなかったのか?


その世界観を私なりに分析すると、


ブッダが「自己正当化を捨てて静寂(涅槃)へ向かえ」と説いたのに、


韓非子が「人間は利己的なシステムで支配しろ」と言ったから、と、


その両方のカオスを抱えたまま、爆音で世界をハックしたのがNIRVANA、のような気がします。あくまで個人的に。


タイトルにある「Teenage Spirit」が

『安物の制汗剤の匂い』というちょっとおマヌケな真実から、


歌詞の裏に隠された罠をネイティブ寄りの視点を混ぜ込んで、


まず重要な言葉について、解き明かしていきましょう。



🧼 タイトルの正体:ティーン向けの「デオドラントの匂い」


まず、ネイティブにしか分かんないだろう、

意味を読み込むときに外せないのがタイトル。


『Teen Spirit』というのは、当時アメリカで大ヒットしていた若者向けの格安デオドラント(制汗剤)の商品名です。


私も1997年夏にほんのちょっとだけ、

アメリカ、サウスダコタやLAにいましたが、


向こうのショッピングモールにはデパートで置いてあるようなお高い香水とは別に、有名でお高い香水の匂いにそっくりの、安物の香水というのがよく売られていました。


その付近に、お高くないんだけどティーン世代が手に取りやすい香水や、日常使いできるデオドラント剤(昔日本でも流行ったシーブリースみたいなもの)が沢山並んでいました。


カートの友人(バンド『ビキニ・キル』のキャスリーン・ハンナ)が、彼の部屋の壁にスプレーで、


『Kurt Smells Like Teen Spirit(カートはティーン・スピリットの匂いがする)』と落書きしました。



彼女は「カート、アンタ、(当時の彼女が使っていた)安物の制汗剤の匂いがプンプンするぞ、ダサいな!」とディスったのですが、


カートはその制汗剤とブランド名を知らず、「ティーンの反逆精神(スピリット)の匂いがする、なんて革命的な響きなんだ!」と勘違いしてタイトルにしてしまった、


という皮肉なめぐり合わせというのがあります。


『Can’t Stop』でも出てきた「Spirit」という言葉。

心であり、精神であり、日本語より幅が広いんです。


つまり、ネイティブの感覚からすると、

このタイトルには

「革命の匂い」と「安物の制汗剤の匂い」という、

どっか冷めたような、二重構造が最初から仕込まれているわけです。



🎸 カートの脳内目線?で読み解く「歌詞の本質」


和訳、意訳を載せようとしているのに申し訳ないことに、


動画の「洋楽大学」さんも言っている通り、


本質的なことに迫ろうとして最も重要なのは、


「意味の通る物語として訳そうとしないこと」がまず先にあります。


カート自身、後に「ただの皮肉の、寄せ集めさ」と語っているくらい。


当時の「中身のない若者文化」や「商業主義の音楽シーン」、

そして「自分自身」への嫌悪感が、

コラージュのように散りばめられています。


主要なフレーズの「脳内ニュアンス」はというと、


🎤 Aメロ:冷めきった若者なりの「マナー」


"Load up on guns, bring your friends"

(銃をぶっ放す準備をして、友達を連れてこいよ)


ほとんどの人が、銃に弾を入れる、つっ込むと訳しているけど、


Load up the guns.ならば、それでいい。


Load up on gunsになると、Load up=~に詰める、 Load up on~になると「いっぱい持って」という意味になるそうです。


なので、「いっぱい銃を持ってきて」ということ。


だけどほぼ、両方同じ意味なんでニュアンスとして。


英語圏の人が受け取っているのは弾をいっぱい詰めるより、


「銃をいっぱい集めて友達を連れてきて~」


のほうで十中八九受け取っているらしいです。


”概念”: 映画やメディアが煽る

「危険で過激な若者像」のパロディ。


「さあ、メディアが喜ぶステレオタイプな、“狂ってしもうた不良の若者たち”のパーティー...とやらを始めようぜ」という冷めた綴り方に聞こえます。


"She's over-bored and self-assured"

(彼女は退屈しきっていて、妙に自信に満ちている)

"Oh no, I know a dirty word"

(おっと、俺はヤバい言葉を知ってるぜ)


over-bored=極端なくらいに、退屈、 self-assured=強気


彼女が誰なのかはもはや分からないことなんですが、

動画によると、


この曲を作る前に別れたトビー・ヴェイルのことでは?

汚い言葉を使ってケンカしちゃったかなーと、推測できるようです。


概念: 自分のスタイルに根拠のない自信を持っているけれど、中身は空っぽでただ退屈している90年代初頭の典型的な若者たちの姿。


それに対して「俺、学校じゃ教えてくれない汚い言葉も知ってるんだぜ、凄いだろ?」と子供っぽくイキってみせる、強烈な皮肉。


⚡ サビ:中身のない熱狂へのディス

"With the lights out, it's less dangerous"

(照明を消しちまえば、そこまで危険じゃない)

"Here we are now, entertain us"

(さあ俺たちが集まったぞ、楽しませてくれよ)


概念: ここがこの曲の核心。


「暗闇の中に隠れていれば、自分を危険に晒さずに済む

(安全地帯から文句だけ言う)」。


そんな若者たちがライブハウスに集まって、


ステージに向かって「ほら、お前らの大好きなロックスター様が来てやったぞ。」と、演奏を開始していくわけなんですが、


そこで若者たちは、

「金払ったんだから、俺たちをエンターテインメントして(楽しませて)みせろよ」と、思考停止して消費しているだけの状態を吐き捨てています。


"I feel stupid and contagious"

(自分がバカに思えるし、それが感染していくみたいだ)


概念: そうやって商業主義に魂を売って、

バカな観客を喜ばせるエンターテイナーになり下がっている自分自身(カートたち)への猛烈な嫌悪感です。「俺はバカだし、このバカさはウイルスみたいにお前ら(観客)にも伝染っていくんだよ」という絶望。


"A mulatto, an albino, a mosquito, my libido"

(混血、アルビノ、蚊、俺の性衝動)


概念: ここはライム(韻)を踏んでいるだけで、

ハッキリ言って意味はないかも。


あえてこじつけるなら、

黒人と白人のハーフ(Mulatto)、

先天的に色素がない人(Albino)、

害虫(Mosquito)、

剥き出しの性欲(Libido)。


全く繋がりのない、社会から「異物」や「タブー」とされる言葉をめちゃくちゃに並べることで、「ほら、お前らこういう過激でオルタナティヴな言葉を並べとけば“深い歌詞だ”って勝手に感動するんだろ?」という、


「ジャズ警察」ならぬ「ロックの意識高い系批評家」たちへのトラップ(罠)です。


💡 『反逆の歌』ではなく、

 『反逆すらも消費される社会への“絶望”の歌』


ロックンロールを歌いながら、同時にロック信者の思考停止を徹底的にバカにしているというダブルの皮肉。


意味のない単語(ライム)に、あえて意味を見出そうとする大の大人たちをあざ笑う仕掛け」があります。


常識とされていたことや「ルール(法)」をぶっ壊して、剥き出しのカオス(混沌)をシステムごと爆破したのが、まさにカート・コバーンのこの曲での在り方なんだと思います。



魂の叫びでありながら、極限まで冷めきった皮肉。


音楽のダイナミズムを殺さないよう、


カート・コバーンが脳内で見ていた


「90年代初頭のアメリカの気怠い空気感」を言葉に宿してみます。



🎸 Smells Like Teen Spirit

     (和訳&意訳:タカギカヲリ)



銃を満タンに詰め込んで、友達もみんな連れてこいよ


楽しいもんだよ負けるのも、負けたフリするのも


彼女は退屈しきって、謎の自信に満ち溢れているね


おっとヤバい、俺は汚い言葉を知ってるもんだからさ



ハロー、ハロー、ハロー、

で、お前らはどこまで”ゲス”になれるの?


ハロー、ハロー、ハロー、

で、お前らはどこまで”ゲス”になれるの?



灯りを消すなら、傷つくリスクは減るだろうね


俺たちが集まってやったんだ、楽しませてくれよ


自分がバカに思えるし、ウイルスみたいに感染していく


さあ集まってやったんだから、楽しませろよ

混血、アルビノ、蚊、俺の剥き出しの性欲、そうだろ?


一番得意なことで、最低な人間になって


この能力にとっちゃ、神に祝福されてるってわけ


俺らの小さなグループはこれまでもそうだったし


この世界の終わりまでこのままだろうよ



ハロー、ハロー、ハロー、

で、どこまで底辺なんやろ


ハロー、ハロー、ハロー、

で、どこまで底辺なんやろ



暗闇に隠れているあいだは、危険は減るだろうね


集まってやったんだ、楽しませてくれよ


自分がバカに思えてならないし、しかも伝染していく


さあ集まってやったんだから、楽しませろよ


混血、アルビノ、蚊、俺の剥き出しの性欲、そうさ




で、なんでこんなの味わったのかすら忘れちまった


あぁ、まあ、そうすれば笑えるんじゃないかと


見つけることに苦労したよ、見つけるのは難しいもんだ


まあね、どうでもいい。気にせんでいい



ハロー、ハロー、ハロー、

で、どんだけゲスなんよ


ハロー、ハロー、ハロー、

で、どんだけゲスなんよ



隠れてコソコソやってるうちは、リスクは減るだろうね


集まってやったんだ、楽しませてくれよ


バカみたいに振舞え しかも伝染していくし


集まってやったんだから、楽しませろよ


混血、アルビノ、蚊、俺の剥き出しの性欲、そうさ



拒絶だ、拒絶だ、すべて拒絶してやる

拒絶だ、拒絶だ、拒絶に決まってるだろ

すべて拒絶して、拒絶しまくってやる


こんな現実認めてたまるか……




① 「Hello」と「How low」のダブルミーニング


ネイティブの耳には、サビ前の「Hello, hello...」が、

韻を踏んでそのまま

「How low(なんて低レベルなんだ / どこまで堕ちるんだ)」

に滑り落ちていくように聞こえていると思います。


挨拶をするフリをしながら、

集まった観客の民度の低さをあざ笑う、


こんにちは~、こんにちは~、こんにちは~、最低やな~


こんにちは~、こんにちは~、こんにちは~、最低やな~


言葉が似すぎてほとんど分からない、けどディスってる。

カートお得意、キレっキレの言葉遊びでしょう。


② 「Entertain us(楽しませろよ)」に隠された奴隷制度のメタファー


ここを「楽しもうぜー!」とポジティブに受け取るのは、

完全な誤解ちゃうかな。


これは、当時のファン(しかもオルタナをただの流行りとして深く考えず消費する若者たち)が、カートに対して「おい、お前は俺たちのエンターテイナー(奴隷)だろ、踊ってみせろよ」と要求してくる、


その傲慢な態度を真似して皮肉っているパートというか。


歌う時も、投げやりでやや冷え切ったスタンスでいいところ。


私個人の話に置き換えたって身に覚えがあります。


日本人でありながら、黒っぽいノリのJAZZやFUNKに身を置いて。


そして、地域のお祭りを音楽でにぎやかにしたいと願ってもいて。


長年、私を見続けてきた人の中には、私がROCKしているところを願う人もいる。


他のことをメインにやってきたけれど、

今までやってみなかっただけで、


TOTOの中でもハードな歌い回しの曲に取り組んだり、

地域のイベント向けにベッタベタのROCKスタンダードを準備したり。


やり始めると、ROCKしてしまうムードはありました。

そんな自分を、自分自身が否定する必要はないんじゃないか。


そして、偶然に偶然が重なり、この曲を歌うことにもなりました。


カートとの違いは、自分の能力を消費されていると受け取らずに、

自分から「楽しんでもらうために、ベストを尽くしている」ところでしょう。


でも、少し皮肉だとも思っています。

JAZZやFUNK、SOUL系を歌っていても、あまり誰かに届いているような気がしないことがあります。ごく少数の方はもちろん居ます。


でも、みんな本当は、何も聴いていないんじゃないか。と思うことがあります。それでも、ごく少数の人に向けて歌うことをやめないでしょう。少数でも、いてくれたことに感謝。


私の受け取った世界を出来るだけ受け取ったまま表現し、出力して、

肯定的に受け取って下さる方がたまにいるんですが、そういう方と出会えたことで十分、私はお腹いっぱい。幸せものです。


私なりの表現の仕方で現場では心を明け渡して、ミュージシャンの皆さまと1曲1曲、形にしていって、そして、なにかしらの化学反応が起きて、例えば、自分もなにか始めてみよう!って気持ちになった人がいて、その成り行きを見守って、私も応援して。


自分がいたずらに消費されたのではなく、出来るだけ意図したまま、誰かのなにかを動かしたということのほうが、私にとっては大事なことなんです。


昔は若いってだけで消費されるような出来事がありました。こんな初老になってまでまあまあ、それなりにはあるけど💦そうではない、別のことがたまにはある。だからやっていられてるなって。じゃないと、今の活動は続けてられないです。


みんなもっと曖昧で、ホンマはジャズやファンク、黒っぽいノリのソウルやR&Bをただ「カッコいい」「お洒落やん?」となんとなーく、中身の部分はどうでもええみたいな。


業界も次から次に、歌い手や若手フロントを新しい才能とばかりに持ち上げて、消費していくだけで。本質とかどうでもいいんちゃうかな、って絶望することのほうが多い。


私は私なりに、このカートが残した歌詞世界に腹の底からシンクロして、歌っていることになります。


③ 最後の「A denial(拒絶)」の泥沼


曲の最後で何度も連呼される「A denial」。


これは、商業主義に飲み込まれていくロックシーンへの拒絶であり、そんなポップアイコンに祭り上げられた自分自身への拒絶でもあります。


私みたいな田舎のしがない歌い手でも、自分が意図していないのにもかかわらず、なにかに祭り上げられる事態というのは避けたいものです。最善の注意を払ってやっていたつもりなのに、よりによって自分の身に起きてしまったとしたら、悲劇でしかないです。私やったらどう受け止めるやろう。


曲が激しくなればなるほど、カートの心は冷たく閉ざされていくという、ユングの心理学でいう「シャドウ(心の影)」の暴走がそのまま形になったようなエンディング。


生きていくためには多少、商業的にならざるを得ないんでしょうか。そうしようと思ったらダイエットに励み、美に投資したり、


芸能界の使い古された手を駆使して、ブッ飛んでる系キャラを前面に押し出したり…なるべく資本主義が消費しやすい自分に歩み寄りながら活動していくものでしょうが、


その辺りは元々私自身が否定的なところなので、カートと同じく「拒絶」してしまうでしょう。何のために歌ってるのか、分からんでしかし~!と矛盾が逆転していく世界で叫び倒したくもなります。


こうやって作品について掘り下げてみると、ん~、なんだかジャズ界隈に生息している『ジャズ警察おじさん』が嫌いそうな作品です。


中国に住んでいるジャズシンガーの女の子とやり取りしていたら、中国にも『ジャズ警察』という言葉があるそうです。アジアに限らず、世界中にいてるでしょう。


理論や理屈から少しでも外れると、口うるさく『認めない』と言ってきたり、冷ややかな態度で場の空気を凍らせる人というのは、どんな業界にも一定数いてるものです。


全ての人がそうというわけではないんですが、なんとも、ブラックな人が存在しているし、実際に遭遇してしまうこともあり、あーあ、と辟易することもあります。


『Smells Like...』は、反体制側。

だから、アンチ『ブラック企業』側。


ある意味ブラック企業の経営者が最も嫌うような作品だと言えます。

ブラック企業がやっていそうなことって、


・感情やパッションより過剰な『ルール』と罰で思考を奪う。


・本音を見せず、常に顔色を伺わせる管理体制。


・立場や肩書きで威圧し、自己正当化の隙を与えない。



ジャズの世界でも、


『ルール』から1ミリでも外れれば『認めない』の一点張り、


なんかやらかしたらすぐ怒られるんちゃうかなと、


ビクビクしながら演奏したり、


メンタルをやられながら歌うことになってしまうアンビバさ。


権威や肩書きによる既得権益で、ジャズ初心者の意欲を奪って、


残っている人は有能な人ではなく、システムに従順になれた人、だけ。



そんなことは関係ないねーんと、


意味の崩壊、矛盾、そして圧倒的な初期衝動。

ある種の『冷めた怒り』を常日頃から持っている人には、


バチッとハマる、そんな作品ではないでしょうか。





書こうかどうか迷ったけれど、追加します。


④最後のサビだけ違うことを歌っている、かも。 どの和訳サイトや解説にも載っていませんが、


最期の「I feel stupid」だけ、私の耳にはカートが「Act stupid!」と叫んでいるように聴こえます。高校の頃よりそうなんです。


オカシイな、なぜみんな「I feel stupid」に統一なん??


公式の歌詞カードにも “I feel stupid” とあるけれど、


いやちゃうやろ、私の耳にはどうしても


“Act stupid(バカなフリをしろ)” としか言ってないやん。


と昔から思っているため、最後だけ「Act Stupid!!」と歌っています。


「Act stupid」の方が、むしろ文脈的にエグみが強まるんです。



"Here we are now, entertain us"

(さあ集まったぞ、楽しませろよ)

"Act stupid"

(ほら、バカな真似して踊ってみせろよ / バカなフリしろよ)


「バカに思える」という内省的な意味から、


「おい、お前らも俺も、みんなでバカなフリして


この商業主義の茶番劇を演じ切ろうぜ!」という、


より攻撃的で冷え切った共犯関係のニュアンスに化けるような。 ボーカルとして吐き捨てるなら、


こちらのほうが断然シャープでドライブ感が出ます。


意味ごと跳ね上がるというか。


私は初めのほうの、


"It's fun to lose or to pretend"

楽しいもんだよ負けるのも、負けたフリするのも


の部分も、結構昔から大好きなんです。


子どもの頃から、イス取りゲームとか、ドッチボールが苦手で。


別に欲しくもないイスをご学友の皆さまと必死で奪い合うなんて、


私どうでもいいかな、でもやってるフリしないと最初からやり直しさせられるし、


考えた末、2~3人目で奪い合うフリをしながら奪い取られ、


「あ~おっしぃー」みたいな顔で楽しそうに輪から外れる子どもでした。


ドッチボールも、逃げる、とにかく逃げまくる、当たりたくないから。 そしてソフトな投げ方のご学友が投げてくれたときに、


受け取れなくてもいいか~と思いながらボールを受け取ろうとする。


もしボールが上手くキャッチできなくても、


「あ~あ...」と残念な顔をしながら、外野へ回るのが日常でした。


そんな人間ですので、今だって「負けるが勝ち」、


と不毛な争いごとを極力避けて、人が何を言おうが関係ない、


誰かと戦うより自分との闘いにフォーカスします。


私があなたより上で~、あなたは下で生きてなさいよ~とか、


そういうマウンティング・マウンテン。


多分カートもどーでもええと思って生きてきたんちゃうかな。


どうしようもない暗さごと良い友だちになれそうです。



私自身は、元々体が弱くて、なんでもかんでもできない。


自ずと、自分のことや自分の周りの関心事にしか興味がなくて。 どうでもええんちゃうかな~と思ったらすぐ折れるし、


形だけでも謝るのイヤ!みたいなプライドもないんで、


変な流れに巻き込まれそうになったらすぐ、


「あ~、どうぞどうぞ~」とそのまま流してしまうかも。



イメージ的には「寝そべっている、大仏」みたいな心で。


あっ、これって、涅槃(ニルヴァーナ)や!!



韓非子の言う「術(本音を見せない技術)」かもしれないし、


同時に、ブッダの「執着を手放す境地」でもあるわけか。



この世のシステム(ルールや法)に支配された世の中にあっては、


あえて負けておいたり、負けたフリするのも賢明な判断、


エネルギーの浪費を押さえてコスパやら、


タイパだってマネジメントしていると言えるし。



バカなフリをして本音を隠して、


暗闇の中でやり過ごそうとする現代にあっては、


むしろAct stupidなほうがリアルに突き刺さります。



“Act stupid” と、言ってるんじゃないかな~。


そのほうがスンナリ、腑に落ちます。


(カートの心の友より。)


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