自分だって、あえて無理に大人になろうとしていない部分もあるけれど。
これは自分を戒めるためにも、
脳内から引っ張り出しておこうと思う概念。
日本人って、ほんと、幼稚だなぁと情けなくなる。
例えば写メを撮る場合でも、肌のツヤやパッチリした目、
外人みたいに見える髪色チェンジとか。
昔のプリクラには無かった機能が当たり前になっている。
自分の頭の中ではこう見えているハズ!
こう見えていてほしい!みたいな、
色が白くて、髪色がカラフルで、手足がスラッと長くて。
そういうアプリなどで盛った姿を本当の自分だと思っているのか。
幼稚だからファンタジーと現実を一緒にしてしまうのか。
でも現実をいうと…現実は全然違うのだ。
極端なマネとかも多い。インスピレーションを得るとかそんなレベルじゃなくて、興味のあるものと同一化することで安心する心理が働いているように見受けられるケースも。
アイデアを模倣してより良いものを作ろうとしても、大前提の話がグラグラだと同じものは出来ないだろうからどんどんやってみたらいい。ちょっと大人げないなぁという感想で終わらなければ全然いいんだけども...。
教育の現場を見ていても、ウソを子供たちに教える大人が居て。自分も昔は大人の都合の良い洗脳を、そっくりそのまま信じていました。
子供ほど素直なものはないし、まさか大人が揃いも揃ってウソをつくだろうかと性善説で生きていたから。
でもどこかでこりゃアヤシイぞと。気づいてからは従ったふりをしながら全然信じていなくて。戦時中でもコロナ禍でも、日本人にテキトーなスローガンを教えると変な方向に暴走してしまうのを見る。
昔から日本人の大半はお上に従って、深く考えず、誰かから与えられた考えやルールを何も考えず信じてしまう民族なのではと理解。
何か事件があって、深く考えさせられることがあっても、「いかのお寿司のうた」を作って子供に広めていったり、ゆるキャラを作ってしっかり考えたフリをしたり。
幼稚な歌や踊りで、ゆるキャラが精力的に活動したとして、事件や事故が減らせるのか。あんまりお金をかけず、大した反発もなく受け入れられるからか。
幼稚園児や小学生の思いついたことを形にしたような、そんな政策も多いだろうし、人々もまとまっちゃうからそうなってしまう。
自分の親ほどの世代のいい歳の人が、昔流行った幼稚で暴力的なアニメの主題歌を歌っていて。昔が懐かしいからかすごく人が集まる。とてもいいことなんだけど、
大人になると、自分が誰かのヒーローやヒロインになる瞬間もあるだろうし。クリスマスでもサンタ側にシフトするものだと思うけれど。あまりサンタ側になる経験が無かったのではという印象を持つ方も。きっとまだ、ヒーローがいてると信じたいんだろうなぁ。
やたらカワイイは正義みたいなキャラも違和感。大人になってからも実際には存在しないスーパーヒーローやヒロインの出現を待っているようで。待っていても元々いないのに…。逃避するのが好きなんだなぁと分析することも。
男性は大体の場合ロリコンが多い印象だ。イタリア映画を観ていて古くはソフィア・ローレン、最近だとモニカ・ベルッチなどはキレイとは認識しても、本当の意味では大人の女性過ぎてなにかと対象にならないのでは。 向こう(成熟した外国人女性側)としても日本人男性というのは子供っぽいだろうから。留学などしても白人系や黒人系、ヒスパニック系から受け入れられるケースは稀だ。ちょこっと遊んでもらえてもなかなか結婚までには至らない。
声一つとっても。J-POPでは中高生がおっさんのプロデュースでアイドルらしく歌っているけれど、女性の立場からしたらなんであんな高音やねんと疑う。焦燥感とか、「もうどうにかなっちゃいそうなの!」みたいなおっさんのファンタジーが垣間見えて草。
きっと若い子に裏声にひっくり返る限界ギリギリのメロディーラインを歌わせて、Hな声でも妄想してるんちゃうかと。他のキーでもいいのになんで無理させるかというとエロが潜んでいて、女性では違う受け取り方をしているわけだ。
限界ギリギリの高い声の中に、あのときの声を、それを歌っているプロモーションビデオの中に、あのときの表情を、連想させるんだろうなって、男ってエロイなぁと、自然にそう思っていました。
だって、女性陣はそういうの一切求めていないんで完全に男の文化だろうなとスルーするから。で、そういった男性側のマーケ重視で作られた楽曲をカラオケとかで気に入って歌う子って、同性同士では『あざといなー』って思っているものです。口には出さなくても。
JAZZの歌い手にしても、御三家や御四家に加えてすごく成熟した歌の楽器を持つ人は沢山いるけれど、その深みをどれだけの日本生まれ日本育ちの男性が理解しているんだろうといえば…外人でもカワイイ系が好まれやすいかもしれない。
カーメン・マクラエがいいとかより、エラ・フィッツェラルド派が多いだろうし、サラ・ヴォーンも展開が非常に分かりやすい=感想を付けやすい。ビリー・ホリデイに至っては複雑な音過ぎて考えに入っていなさそうだ。
日本人男性が実際に聴いているのは日本人の耳に馴染みやすい日本語英語の、「素直」なのが圧倒的に好まれる。人生経験豊富そうなビリーだと明らかにテクニシャンっぽくなって苦手だから。
彼女が真っ向から立ち向かった『公民権運動』とか、そんな難しいことボク分かんないよって、あまり自分の女に賢さや生意気さ、成熟した大人の色気などは求めていなくて。
フェミニズムとか女性の権利向上みたいな男性からしてみたら厄介なことに興味が全くなさそうな、全然歯向かわなさそうなちょっとおバカっぽい白人系ボーカルのほうが好まれそうな。お菓子系な方が好まれる印象である。
難しいことなんて興味を持つなよと。あんまり分からないなら分からないなりに甲高く歌っていたらめっちゃ気に入ってもらえたり。昔カラオケで少し上の世代の人が好きそうな歌を歌うとやたら食いついてくることがありました。
本来の私はそういう女性ではないのにな...勘違いさせちゃいけないな…と反省。そのあとは勘違いの起きない個性的な歌詞の歌や、高音でアイドルみたいに戦わないアーティストさんの楽曲を好むようになりました。 かといってママっぽい内容の歌も好かれます。自分より年下のロリコン好み体質とともに、自分の母親を感じさせるような母性的なアーティストも好まれるかもしれない。その場合はマザコン体質なんだろうと理解。
そうではない人は、やや舌っ足らずで少女みたいに歌ってくれるボーカルが理想なのかもしれない。変に個性とか求めていなくて、あくまで少年少女合唱団の延長線上のような。
個人的な統計と経験則だけど、パワフルな声は意外と女性に求められている。だから私は女性を元気づけるために歌っていると言える。くそったれな日常を、私なりに全力で励ましたいのだ。
たまに、男性も反応してくれる。その場合はガキっぽい部分も大事にしながら成熟した魂を持っているなぁと感心するし、永遠に子供みたいな部分を残しながらも家庭に入れば良いパパ、ステキな旦那様をされている。父性も母性もあって、バランス感覚がいい。
でも昔、年上の男性に言われました。「男は女性の声を聴いて癒されたいもの。変にパワフルやと恐くなって。そんな声は求めていないよ。」と。←たしかに。これには大変考えさせられました。でもそれは男性目線な話。
女性はパワフルなのを聞くと、握りこぶしを作ってYES!!とスカッとしてくれたり。ほんと、お仕事や家事&育児にと、幼い男性陣に代わって矢面に立って処理している女の人にお疲れさまです!明日も、頑張りましょうねと、応援したいのです。
そんなリスナーは夜の店にはあまり来ないもので。声自体はハスキーであったり、しゃがれてブルージーだとしても、顔つきが実年齢よりぐんと幼く、後ろ姿がハタチみたいな人が好まれやすい。未成熟で、だからこそアカンとこが見えて。守ってあげたい歌い手が好きな印象も。
お料理やコンビニの新製品だって、苦みのあるもの、刺激や噛み応えのあるもの、複雑に味覚に訴えかけるものは少なくなりました。分かりやすい甘さの、柔らかいものが好きだったり。
未熟だから、不都合は事実を無視したり、実社会でもSNSでもちょっとアダルトで理解を超える言動の人を見たら攻撃したり。コロナで深刻なことが起こっていても何も自分では考えず、調べたりもせず。
都合の悪いことをなかったことにしたり。問題の根本を解決するのではなく、蓋をしてごまかしたり。大前提が間違った上で解決しだしたり。日本語全体ではなく単語と単語の組み合わせに感覚的に反応したり。 そこは男女問わずに幼稚園児時代のケンカみたいになっている。個人だけの話ではなく、日本全体で、オボコい。そうではない人にとってはフィットしないし歪で。
何気なくとった言動から垣間見える思考回路の停止とか。その背景にあるそもそも論にフォーカスしている人にとっては返事に困り、呆れかえってしまう。議論など成り立たないので「ハイハイ、そうですね。」と上辺だけの、本音を一切言えない。
ご飯に例えたら。体が成熟していくにつれて味覚も発達して、小学校5年のときにはお刺身にワサビを付けて食べたら美味しくて。今まではまずかったのに不思議でした。
そんな感じで子供の頃には苦手だった複雑な味のものが美味しくなって。食品添加物が沢山入ったコンビニ食や人工甘味料よりは自然のものに近い、調理工程の少ないものが好きで。生で出てくるお刺身とか、お菓子なら本物のお砂糖や動物性の生クリームが好きで。
片や、私が昔つるんでいた女友達や男友達の中には味覚神経が発達しなかったのか、ハタチを超えてもワサビ、カラシがNG。好きな料理は甘口のカレーライス、唐揚げ、ハンバーグ…など子供が大好きなものばかり。
手軽に食べられる冷凍食品も大好きで。人工的に混ざっているものを感じ取る味覚神経が未発達なのかもしれない。その子がそうだとして、面白かったのはその子のお兄ちゃんも同じでした。
家族揃ってミートスパゲティやミートボールが好きな。それも個性と言えば個性だけれど。
ワサビやウニ、スパイシーなカレー、からすみ、ブルーチーズ、ビールとか、複雑なものはマズいらしく。それも個性。全員が同じなわけはないから。
問題は、大多数が未発達なものを好む傾向にありながら、だからといってこちらが合わせすぎるのもおかしな話で。
少数ではあるけれど、違う観点から行動する私に「あの子にはあの子のやり方、ルールがあるんだろう。」と任せてくれたり、気付いてちゃんとできるだろうと信じて、他と被らない力を認めてくれる人だっている。
幼稚園の先生じゃないんだから、なにもかも分かりやすくする必要などなくて。分からないなら無理に今分かろうとしなくてもいいんだろうし。そこで幼稚園児や小学生の同調圧力みたいに「従わない=間違い」みたいな分かりやすいルールを適応しなくても。。。と思う。
分からないままいくのも十分個性だろうし。でも分かる人には分かってもらえる。その瞬間の喜びといったら言葉に表せない。
たまに、「タカギさん、宗教法人作ったら?」と言われることがある。相談に来られる人が、モノゴトの本質を捻じ曲げられて、変な方向に進んでいる幼い人や集団にやりこめられて、傷ついているように見えるから。
理不尽なほど短絡的で、視座が伴わない相手に疲れさせられている大人な女性が多いように思う。相談に乗っているうちに、上手いこと解決して、必要以上に悩ませないような切り返しをしているからだろうと推測。
そういう、残念ながらちょっと幼い集団の中で大人な人が混ざってしまったときに起こるギャップや違和感などは日常なので、変な論理だなぁと思うことについては、考えないふりをしたり。
下手にこちら側の事情を説明していっても、すぐに理解を超えてしまって何かしら壁ができてしまって。ついには「つべこべ考えないでいいんだよ!」と逆切れされたり。
昔からケースバイケースで対応してきたことだし。私と同様に困っている人がいたら話を聞いて、楽に考えられるようにアドバイス出来たらと思う。それが私の立ち位置なんだろうなぁ。
自分にも幼稚で未分化な感情はある。でも、それらを客観的に眺めて、どうしてそう思ったのかなと自分の中の子どもな部分を理解して、抱っこしながら生きている。でも世の中には客観的に眺めるということを経験しない人が多い。私の見立てだと日本人は特に多い。
欧米やアジアの中でも自己主張しないと争いに負けて淘汰される経験をする国ではもう少しアダルトな概念を理解する男性が多い。鎖国が長引いたからか、ぼーっとしたまま、大人になるように仕向けられる日本の教育のせいなのか。
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