30年ぶりのあなごと、違う国の王様
- Keiori Takagi

- 4月6日
- 読了時間: 6分
1人の人間の中には、いくつもの役割がある。
誰かの伴侶であり、親であり、子であり、表現者としての仲間でもある。
生きていくと、それらが複雑に絡み合いながら同時進行していくもので。
私の今は、一時的に「家族」という役割が中心に回っていると言えます。
主人の帰宅に合わせて予定を組み替えたり、家族の集まりに付き添い、自分にできる限りの対応をするけれど。 いろんな集まりに誘ってくださっているのに、ギリギリまで予定が分からず、結局行けないままになってしまうことも。
突発的に、でも比較的長いこと頭も身体も家族中心になって、他のことの優先順位がコロコロ変わる。ままならないなぁと思いながらも、なんとか回しています。
日々のことが散らかっていくから。頭の中で整理してから、スッキリと次のことをやろう…
なんて今日も思いながら。
この週末は、かつて近所に住んでいた頃、子供心にウルトラマン・ショーを楽しみに通った思い出の場所にある温泉宿へ。近すぎて泊ったことないから逆に新鮮。
チェックインまでの時間は、お義父さんの気の向くままに。
何か美味しいものをと石切の参道を歩けば、昔ながらの七味屋や和菓子屋、ゆったりしたマダム服が並ぶ店……変わらない景色の中に、新しく占いの店が増えているのが今の空気かも。
お昼は、約30年ぶりに『石田寿司』の暖簾をくぐって。
看板以外に品書きもない店構えだが、一口食べれば記憶の奥に眠っていた味が鮮やかによみがえり、懐かしい食器やお湯呑を見るだけで思い出がいっぱい。

まだ小さい頃から誕生日、ピアノの発表会が終わった後、両親が節目のたびに連れてきてくれたこと。大好きすぎて3回もおかわりした、あの柔らかくて肉厚な、甘〜いあなご。
今、もし娘に同じことをねだられても、私はあんな風に贅沢をさせてあげられるだろうか。色々降り積もって忘れかけていた、不器用な両親の注いでくれた愛情の深さを、あなごの味と共に噛み締めました。

しかし、そんなノスタルジックなムードを吹き飛ばすのがお義父さんの「俺様ルール」。
閉店間際、ラストオーダーも過ぎているのに「鉄火巻き、娘に(持ち帰るわ)」と板さんに注文し始める。←ラストオーダー?と自分で聞いて締めの注文をした10分後に、また追加する。
「さっき最後って言ったやん!」と焦る私たちを余所に、「商売、商売」とニカニカ笑うお義父さん。その脈絡のないエネルギーと混乱は、まるでジェームス・ブラウンの映画の冒頭10分を見ているようで、意味が分からない。
けれど、私にも経験の中でアップデートし続けてきた『マイルール』がある。
違和感を覚えたら些細なことにも「心の検問」を緩めないし、誰かの代わりがきく「駒」として扱われることは選びたくはないものです。 なにをするにしても、ちょっとでも疑問に思ったり納得することが出来なければ、新たに作ってでもアイデアをちりばめた空間にして工夫しながらここまで来たはずです。
今朝流れてきたアーサー・キットの言葉。
"Therefore, I don’t fit in anywhere, and I don't think I ever want to fit in. I want them fit into me." (だから私はどこにもフィットしないし、フィットしようとも思わない。私にフィットさせるだけ)
この言葉は、私の日常の小さな選択にも通じています。
例えば、服の色や口紅。量販店に並ぶ「アジア人女性に馴染むよう調整された色」は、私の肌にはどうしても合わない。ブルーは青緑に沈み、ローズピンクは濁ったベージュに傾く。
多くの女性にとって良かれと思って足された「肌馴染みの良さ」が、私の顔色を暗く、見た目年齢を押し上げてしまう。
馴染む色がないのなら、海外のビビッドな色を探すか、自分で布を縫い、材料を混ぜ合わせてカスタマイズするしかない。 「世の中に自分を合わせる」のではなく、「自分という素材を活かすために、既存のものをカスタマイズする」。
この感覚は、発言者が変わればまた違う響きになるだろう。
もし、わが家の「異国の(!?)王様」であるお義父さんや、ジェームス・ブラウンが放てばこうなるはずだ。
「俺はどこにも馴染まないし、馴染もうなんてさらさら思わない。周りが俺に合わせればいいんだ」
一見、同じような「俺様ルール」に見えるかもしれない。 けれど、大きな違いがあって。 お義父さんやJBのルールが周囲をなぎ倒しかねない武器になってしまうことがあれば、私のささやかなルールというのは”自分を守り抜くための絶対領域”の話になる。
例えば、一時期流行ったブラウンメイク。私にとっては、ただ顔に「汚れ」を足して、見た目年齢+5歳を確定させるだけの行為でしかない。いくら流行っていても、安易に取り入れるべきではないのだ。(私の場合、赤味の少ない色を選ぶなど、それなりのコツがいる)
世間に馴染むために、自分を濁らせる必要はない。
馴染む色がないのなら、自分でパレットから用意すればいい。それだけのことだ。

そんな“I serve my soul(私は私を裏切らない)”な嫁と、“You serve me(俺に従え)”な義父。 石切の参道で、二人の王様による静かな「外交問題」が幕を開けてしまいました。
きっと、扱いにくい嫁だろう。
本来的には、私のルールはあくまで「私の国」での話だ。
誰かの場所やビジョンの中にいるときは、その土台や歴史に対する敬意があってこそ、はじめて自由が活きる。
もし自分のやりたいカラーがあるなら、自分で新たに作ればいい。
人のパレットを勝手に塗り替えるのではなく、それぞれの色が響き合う関係が理想的。
……とはいえ、私がお義父さんの国(ルール)に属するとなると、話は別だ。
夕食時、「一皿ずつ持ってくるのが筋やろ!」と年長のお給仕さんに説教を始めるお義父さん。お会計に来られれば「まだ食べてるんやで!」と。
ヒヤヒヤする💦これを遮れば私にも被弾する。うまく興味を逸らそうと、外交官並みの気遣いが必要になる。
「今の時代、アウトー!なこと言ってるのはこちらですよね💦」と心の中で謝り倒す。これが、今の私にできる精一杯の対応だ。
時々、私たちは「王様と従者」ではなく、「王様と、違う国から来た王様」として、対等に杯を交わす瞬間がある。かつて父に従っていた息子(主人)が、今は私の国の住人であることも、お義父さんはどこかで受け入れているのかもしれない。
残された時間は、決して多くはない。
昨年の旅に比べてもお義父さんの疲れは早く、気持ちに体が追いつかない場面が目に見えて増えている。
それでも次は「城崎まで1人で行きたい」とのたまう。
ジャイアンの隣にスネ夫やのび太がいるように、1人ではきっと騒動になるだろう。
私はドラえもんではないけれど。
その願いをどう着地させるか、のび太くんの代わりに少し調べ物でもしておこうと思う。




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