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執筆者の写真Keiori Takagi

ぜんじろうさんのスタンダップコメディ

湯浅さんが音頭を取っている”ぜんじろうさんのスタンアップコメディ”

『世界ツアー日記~大災難の巻』ということでお話を聞きに行きました。



スタンダップコメディって知ってますか?の質問には、他のお客さんよりコメディアンの話を聞いているかもしれないと自信があります。もう亡くなられた俳優の『ロビン・ウィリアムス』さんもスタンダップ出身だと聞いているし、



エディー・マーフィーやジム・キャリー、アダム・サンドラー、歴代のSNL(サタデーナイトライブ)の出演者の中にはスタンダップ出身のコメディアンが多い。



インスタグラムでは日系人のアツコ・オカツカ(岡塚敦子)さんは自然体でおかしなことをイジリに行くから、ちょっと天然系の、こんな友だちおりそうなって笑える。



ジミー・O・ヤンはドラマでも映画でも引っ張りだこ。アジア人のステレオタイプを演じながら今までにない切り返しで爆発的な笑いに誘う。ちょっとエロかったりきわどいお題にもガンガン切り込むから、



うまい例えかどうかは分からないけれど一時期の星野源みたいな人気。やはり世の中はエロが動かしている。男女ともに多少なりともセクシーさがないと爆発的な熱狂者は生まれないのかも。



その他にもフォローしている人はいて、大体英語圏のアジア人かそんなに名前は売れていなくても女性コメディアンが多い。共感しながら聞いているからだろう。



たまに英語脳を使う機会があるが、日々生の英語に触れないと反射神経が鈍る。軽妙におしゃべりする彼らのジョークを理解しながら、今以上に英語力を落とさないようにしている。



最近、昔より理解が早くなっている。非常に緩やかにだけどやらないよりは関わっている方が絶対に分かることが増える。なんでこの勉強を、忍耐を、ティーンの頃に出来なかったんだ。



時事ネタを幾つか取り上げて、フワちゃんとやすことか、各政党の話、出馬したら?と言われたり、笑かしたくて言っているのであって活動家ではないから…と時々ちりばめられるぜんじろうさんの立場からの感想が面白かった。



昔は、テレビのツボは結構観ていたし、MBSヤングタウンもたまに聴いていました。あのときたまに出てきたお師匠さんの上岡龍太郎さんのお話も進行形で聞くことが出来た。



「亡くなられて1年経って、1年経ったことを忘れていて。」お師匠さんが「なんでキミ忘れていたんや。」と聞くけれど、師匠だって「自分も1年経ったことを忘れていたよ」という感じで、師匠と対話することはあるそうです。



フランスの空港で盗難にあったことや、人情ばなしではフランス在住の占い師にカードを7枚選んでと言われ、成り行きで「あんた芸人辞めちゃいなさいよ」とテキトー言われたことなど、興味と関心のあるネタは本当に興味深く笑いながら気楽に聞けました。



そのあとに打ち上げがあったのですが、この打ち上げでの話がまた面白かったです。言っていることが孤独と向き合った人の覚悟が伴っているように思えて、かなり深かったし、



どのお話も必ず面白がれる方向へ持っていこうとする技術がスゴイ。そんな爆発的な笑いではないけど、クスりというか、ニヤリというか。



コメディアンとしての悲哀について面白おかしく話してくれるけれど、それって、控えめに言って音楽の世界も一緒だなぁと思いました。おそらく政治の世界も、どの業界でも。



「ちゃうやん、敵はここにいるんじゃない。あっちや!」と伝えても、身近なもの同士で足の引っ張り合いをして、トラブルになってしまう。



「こちらは出番が30分と聞いてきたからその分のネタを準備してきたのに、相手は50分も60分も?30分より多めにネタをやり切って、しかもソコソコ受けてからこちらのターンやし(爆)」のくだりとか。でもぜんじろうさんはいちいち怒らないそうだ。



嫉妬か妬みか自己保身か、今は揚げ足取りしたりどちらが上かマウント取りしている場合やない、軽微なことには目をつぶって、大局的な見地から物事を片付けていくこと必要な時に、よりによって権力の対象(例えば吉本や松ちゃん)に向かうのではなく、



哀しいことに少人数で支え合っていかなあかん同じスタンダップコメディアン同士で争いごとが起こったり、より立場の低い芸人を晒して、虐めやマウントをとるようなことになってしまうらしい。



湯浅さんのお隣に座っておられた男性や他の人も、「今だけ金だけ自分だけの人が増えているからなんでしょうね」話は続いていきました。



でもぜんじろうさんは大抵のことは笑っているそうだ。だって、敵はそこにはいないから。問題の本質はそこには転がっていないのに掘り下げても仕方ない。スルーする。これは、私の立場と非常に似ていると思いました。意外だった。



安部さんの件あたりからXでフォローしていたけれど、昔から言ってはいけないこと、タブーになっていることを言ってしまうタイプの人だと勝手に思っていた。そうではなくて、よく考えたら立場の弱い人は蔑まないんだわ...確かに。


昔ラジオで身近で出会った変な人をいじることはあったかな。でも特に炎上するようなネタでもなかった。弱い者いじめはしない。権力に対してはこれは、ちょっと言わせてもらうよというポジションらしい。


私も不当にパワーを行使しているように見える人には従順ではいられない、だから権力を持っている側からみたらちょっとコワい奴っちゃなって思われているかも。そこも似ている。



新人が入ってきたら虐めたおす組織のお局さんとか、秘密主義で1人で仕事をわざと抱え込み、もはや引き継ぎもできないくらいアンタッチャブルなポジションにいる人とかを見かけたらすぐ、



「公平性に欠けるんちゃいますか」「なんぼなんでも、不透明じゃない?」って訴えたり、組織全体が腐っている、改善の見込みナシと判断したらすぐ距離を置きます。そういう集まりは勝手に自滅していくから。



勝手に遠くから、思ったことをすぐ口にしてしまうんだなぁ。黙っていられたらいろんな番組に出れただろうなぁと思っていたらその逆で。



言ってはいけないことはちゃんと黙っている上で、言論の統制を強いたり、いわゆる権力側には公平に、言うべきことを自分が言わなきゃというスタンスであることが分かってとても好感が持てました。



ずーっと真面目に話をして、オチで笑いに持っていくからスゴい。やはり活動家ではなく、芸人なんだと。戦争反対とか、やはり戦争が出来るようにすべき、などいろんな声がある中で、



「平和の活動家って日本にそんなに居ないと思いませんか?」「僕みたいな芸人が、おかしいものに向かっておかしいと言えなくなったらもう日本は戦争へ向かっていくでしょう。」



というようなことも話していました。私もぜんじろうさんほどではありませんが、自分の周りにいる人に笑ってもらおうと思って励ましたり、自虐ネタかましたり、何かしらの行き違いが起こった時にはあいだに入ります。お互い機嫌よくいきましょうよと思っていても、



お相手は無意味に喧嘩腰だったり、余裕がなかったり深く考えることが出来なかったり、みんなそれぞれご事情がある。本質を違えないようによく観察していると、大抵のことは買う価値もないしょーもないことが原因だったりします。



あと、私の好きな喜劇王チャップリンの名言にもあるけれど、人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇の引用もありました。今日偶然別の記事で宮沢賢治さんの本のことを思い出していたけれど、



まさにあれと一緒で。何か良くないことが起きると感情が先立って悲嘆に暮れてしまうこともある。でも時間を置いて考えてみると、「あのことがあったおかげで…」とピンチから好転していることが良くあります。



元旦那と不仲にならなければ、歌っていたでしょうか。せいぜい家でしか歌わなかっただろうなぁ。実家に帰って、特に仲の良いとは言えない母親にも面倒見てもらうなんて情けない😿と、



大阪には帰らず子どもを1人で育てた14年間。あれがあるから失うものがなくて。逆にマイナス(赤字)スタートで。お堅い職場の上司に連れて行ってもらったカラオケスナックで「姉ちゃんがどこかで歌うときは聞きに行くわ」と、



たまたま歌を聴いてくれたお客さんに励まされて、「タバコなんでやめて。声を大事にして」と知らん人に怒られて。エーッそんなことって?もしかっして?んー?と考え方を改めたから、少しずつ人の言うことを、そして自分自身を信じたから今があると言えます。



大切なのは、起こった出来事をどう次につなげていくかで。実際「どーでもええ」って決め込んだ瞬間から別の歯車が巡ってきて、新しいカードがいくつか配られました。それをやるのみです。


 


これからだっていろんな選択肢があるだろうけれど、結局死ぬときには生きているうちに出会ったステキな人、同じことに関わった仲間のこと、家族、そして行く先々で見たいろんな景色が宝物になってきます。



人を傷つけることで自分の痛みを痛みを癒そうとする人、アタ〇カな人、余裕がなくて愛のある対応が出来ない人、いろんな人がいろんな事件を起こすけれど、出来るだけ物事の明るい部分を見て、



良い人や良い行いはすぐ当たり前みたいになってしまうので目立たない、だから当たり前のことではなく、有難いことだとしてちゃんと感謝しながら。



極力、物事の明るい側面を見続けることが出来たら...というようなことも最後の方で言ってはりました。やはり、私が普段言っていることと似ている。「笑いで平和に。ぼく、今回の世界ツアーで、それお笑いで出来たかもしれないって思ってるんです。」



と語るその表情は、テレビのツボの頃より現実に沿っていて、すごい自信と手ごたえを感じていることが伝わってきました。いいなぁ。私もそれ、歌や音楽の世界で少しばかり感じることがありますが、まだまだ勉強不足で、全然これからです。



もしかしたら、何回かフワッと起こる落語ブームより、『ジャパニーズ・スタンダップ・コメディアン』がドッカーンと来る日が近いかもしれないと、そんなことを思いました。そのときには、ぜんじろうさんがブームを牽引してほしいなぁ。

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