文章にまとめる意味が変わっていたからだと思う。
- Keiori Takagi
- 6月9日
- 読了時間: 7分
10年前ほど前、ただ歌っているだけで「あんたみたいな、いつも能天気に笑ってるやつは人の苦しみとか知らんやろ。何も考えてなくてええな」と数人に言われました。
主にジャズセッションで会った、俺は歌えないけど歌い手のことはよく知っていると言うオジサマとかで、当時はよく行きつけの店に居てたんですが、もう今どこで何をしているやら。
しばらく顔を見かけないとはいえ、当時は心外だなぁと思い悩み、どうやったらそういう人への口封じが出来るかと考え、だったら書けばいいんじゃないかと思いました。
タカギって、1言えば10も100も返って来るかもよ?能天気に見えて、あなたの奥様も言葉にしきれない気持ちをそのときには言わないで黙ってただけかもよと。
語らなければ、何も考えずにハッピーな奴に見えるんだー、は違うし。1つ聞くと「なんでそんなことに?」という事象も、”こう”で”こうなって””こうなりました”とスッキリ。のっぴきならない事情があったのだなと分かるから。
いいねしにくくても、いつも読んでますと言ってくれる方もいます。なんでも人間関係だからお立場上むずかしいとかあるだろうし。別に3行くらい読んで、サラッとスクロールしながら元気そうにしてるな、でもOKです。
効果てきめんに、”また1人バカで能天気な客寄せパンダ、勘違い甚だしいなんちゃってボーカル=カモが現れたよ”から、”あ、なんかちょっとややこしそっ💦関わらん方がええなぁ”へ変化。それも厄介な話かもしれませんが。
いい感じにピタッと。そういう音楽の現場だからいいんだ”と、”昔は殴る蹴るは当たり前、今だって女の現場ではないんだ黙っとれ。”みたいな時代遅れのハラスメントまがいはいなくなりました。(たま~に境界線を踏み越えてくる人がいますが。)
中高生でも痴漢に遭いにくくするためにワザと黒髪から茶髪、色白からガングロのヤンキー風に変えるとかは身を守る術の1つです。わざと髪をスキンヘッドにしたら、スッキリしますよ。痴漢は大人しすぎて声も出せないみたいなのを狙うから。
金髪も”人当たり良さそー”=自分の意のままに出来そう”からクセがある方向へもっていけてなかなか良いです。それでも女だからと舐めてくる人がいたら体中いたるところにピアス、タトゥーも分かりやすいところに。舌を2つにスプリットしたり。
しばらくすると、書いていることが分からないとクレームがくるようになりました。それはもう、私はその人ではないから仕方のないことだし自分の感覚を共有できる人、違った角度のご意見を持つ人で相互に情報交換が出来たらと思います。
ほんの2~3年前とも様子が違う今の状況に対応して、たびたびSNSにUPするのは止めておこうか考えていました。でも書かないでいるとまた、「お前みたいなのがいつもヘラヘラ笑ってるやつが1番嫌いやねん」と因縁付けられるのかな。
最近は、もし「悩み事など1つもなさそうで、ええですなぁ」とかイヤミを言われたとして、そんなに傷つくかな?そう言ってくる人は自分のことが上手くいっていないからこちらに当たり散らしているわけで、もう、どうでもいいんちゃうかなと。
なんやったらお酒の1杯でもおごって。苦しみを吐き出してもうて。終電過ぎても付き合って...そしたら”やっぱ要らんわ帰る”って言われるのがオチか?どの道、仲良くはなれないのか。放っておくには話聞いてほしそうやし、どうしたらいいものか。
実は、10年も昔に比べると段々と自分を理解してくれる人が沢山現れて、一緒に音楽をしてくれる人にも囲まれ、家族と共に暮らしていけて、自分が興味と感心を持っているその他のコミュニティでも居場所があって。本当にありがたいことです。
心悩ます事象はたびたび起きますが、基本的にはそのときのベストを尽くしてあとは”God only knows.(神のみぞ知る)”状態です。残念ながら私には自分の周り以外の何かを変えることが出来ないし、限界を知ると必要以上に悩まなくてよくなって。
本当に言いたいことや思っていることを全て書き切れたのかというと、あえて言わず、書かないでいることのほうが多いです。それでもなるべく”行間”を読んでもらうと分かる仕組みにはしていたけれど。
伝えたいことは伝えきれず、言いたいことの半分も言わず。例えば政治の話とか宗教についてはマイルドに。個人的信条を掲げすぎるとそれだけでコメント欄が荒れるし、面倒くさいのでほとんどしないです。
これはまずくない?ってコロナ禍のほんの幕開けに、イギリスの客船の内部に潜入してレポートしてくれた方の手記や動画へのページをシェアしただけで「そんな人の言うことは信じない方がいいですよ」とすぐ届きました。
あのときは戦時中?みたいな気持ちになったけれど。今になって、あれは何だったのと冷静に振り返れる日本であってほしいと願います。ところが最近の米にしてもなんにしても、ここまでなってもまだ変化することを怖れるのが日本人なのだと理解。
今だって、戦争の真っ最中。分からないように、あるいは分からせないようになんとかごまかしながら。こちらは1人で、力を持つ人からの圧力にどう抵抗したらいいだろう。個人レベルなら書いて書いて書きまくって奮闘したほうだなぁと振り返りますが、
特にコロナ後は、自分と気の合う人たちと一緒にいようと自然に動いています。意識の合う人に沢山出会って、これからの時代を共に乗り越えていかなければ。違うユニットに行ったら何から何まで全然違い過ぎて話がかみ合わないです。
私の両親にとっては娘や子として、私の娘からは母であり親として、主人からは妻であって音楽仲間で。その他にも役割があるのでいろんなことに関心があります。引き続き、より良い未来へ向けて。出来ることをやっていくだけです。
それ故にただ男女間でのLove Songを歌えばいいという括りではなくもっと大きな愛を歌っていることもあるし、問題意識への啓発もちょっと入っているような曲を取り入れています。この、静かな争いの中でやれることはなんだろうと考えました。
私がたどり着いた音楽の可能性、歌の力、本質をもって。学校にいまいち馴染めなかった自分は先生に怒られていた方だし、今じゃ権力者にとっちゃ要らん奴でしょうし、“それやったら”これからの時代をもっとにぎやかして”いきたいです。
それと、単純に”時間がない”。年々時間がなくなるのが早まって、キッチリ振り返ることが出来なくなっています。自分主催のイベントに遊びに行ったセッションやLIVEの振り返りとなると年間どれだけになるか。10年前に比べると4~5倍?
今でも忙しい時にはセッション系にお邪魔したときのはすっ飛ばして、LIVE鑑賞についてはビルボードなどの大規模なものを中心に余裕があるときに。どこかへ出掛けたなどの投稿は一緒に行った人がタグ付けしてくれたら自分は行わないなど。
どんどん減らしていく方向で考えています。けっして外向けではないですが、 振り返ることは内々でお礼と一緒に届けて、観に来てくださった方と分かち合う。こちらが音楽やサービスを受けることLIVEやセッション系の振り返りは控えたり。
外出する回数が多くなればなるほど振り返って形に残す時間が無くなり、不完全なものになるならいっそやめてしまおうと。これからはなるべく、私の心の中に留めて生きていこうかなと、そんな風に思っています。
その代わりもっとタラ~っとしたことをUPするかも。なんでもない、面白かったこととか。もう少し気をゆるませてSNSとお付き合い出来たらいいな。文章を書くこと自体は頭の整理と書く力の活かしどころだったし、自分の助けになっています。
文章力を活かして、外国人のアーティストさんのバイオグラフィーを英語から日本語に訳して、日本人に分かりやすいひな形に落とし込んたり、自分以外の個人のプロフィールを参考にまとめたり。私が書くことで喜んでもらえて光栄です。
どうしても書きたいことで長文になることは、これからも1番読み手の少ないブログに場所を変えてシェアすることはあるかもしれません。代わりにまとまってきた考え系はNoteでやっていくかも?時間との折り合いをつけて。
書かなければと思ったことは記しておく。時間との兼ね合いでむずかしいことはサラッと残したり、UPすること自体ギブアップで(^-^;無理せずやっていきます。
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