ある曲を追っかけていて(調べていて)、偶然にも日本語版を歌っている人がいる=浅川マキさんにHITする!という事象が何度か起こっています。彼女が子供の頃から聴いていたのが美空ひばりさんであったり、夢見て上京したあたりでビリー・ホリディに夢中になったそうで、私も小学生の頃からひばりさんの歌好きで聴いていたし、年を経てビリーの良さが段々分かってきて、そういうところもなんとなく親近感があります。
セントジェームス病院が入ってなかったから別に動画のリンクをupします。
番外編なんだけど、山崎ハコさんも好きです。たまにふわっと、COCCOさんみたいなアプローチの歌詞や歌い回しがあるような。私がギリギリ生まれる前のアルバムなのに親近感。ジプシーローズと水割りがいい感じ。
もともと音楽大好き人間で節操なくいろんなのを聴いて育ったので、自分がよく歌う曲、あるいはこれから歌っていきたい曲の中には、なにかしら新しいご縁があって選ばれた曲が多いです。その大半がすでに知っている曲なんですけど、最近になってふと思い出したり、ある時期脳内でヘビロデしてた思い入れのあるものだったり。忘れたくないんですよ、自分の記憶の断片なんで。私のド定番でも周りの人が知らない曲も多くて、忘れて生きてたら永久に聴く機会がなくなりそうです。それってかなり寂しい・・・だから歌うんですよ。歌おうと思ってがっつり向き合いだしたのはここ二年のことだから、これからどんどん馴染んでいけばなと。
あれ歌ってよ、とかのリクエストも増えてきました。増えてきてカオスな時ありますが・・・時間を見つけて自分に馴染ませるのです。学生時代には演劇部や放送部だったので、どちらかというと与えられた役、セリフ、シナリオをもとに自分の声や顔、動作、体をお貸しする感覚です。貸しているのは高城なんで、全体的に私なりの解釈が入り、自分のこととして落とし込みます。腑に落ちているから気負うことなく歌います。
こんな話を星野源好きな知人にしていると、源さんも同じようなことエッセイで書いてたよと。少し前に鶴瓶さんの番組で高橋一生さまも言ってました。セリフに対して素直に出てきたものを大事にしていると。充分腑に落ちているから、そのあとであえて気持ちを込めたり、感情をオーバーめに表現する必要なんてないのです。Too Muchになっちゃう。この距離感が大事だなといつも思っています。
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