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執筆者の写真Keiori Takagi

箱庭内での在り方を検討する

子供の頃ヨークシャーテリアを飼っていて、Luckyっていう名前の弟だったんですよ。昔はあまり無かったけど、最近の一戸建てには犬が自由に走り回れるよう『ドッグラン』があったり、いいなぁと思いますねん。


私もみんなもドッグランみたいなのを持ってまして。物理的にではなくマインド、ソフトウェアの方。で、いろんなとこに顔を出すと、一緒に遊ぼってなるんですよ。この場合は犬同士なんでトラブルにはならない。お互いの遊び場で楽しめばいい。


ところが一方的に私のドッグランで遊ばせろと求められることがある。お相手の方と遊びたい要素が少なくて、とか私の事情はお構いなし。この場合は犬同士ではなくドッグランの持ち主にされ、呼んでないのに遊びに来て土足で散らかす。私もお金を払っているのに、サービス提供者ちゃうのになんで?途方に暮れる。


あるいはおまえはずっとこの狭いドッグランで走っとけばいいんだよ、利用したかったら金払って遊びに来い、イージーで安全に、危険で難しいことはするなよ、対応できんよな恥かかすなよって、冒険させることを好まないドッグランにお金を落とすのはやめとく。勿体ない。


犬は犬でも小さい箱庭から出たいと思う。壁を乗り越えたい。乗り越え方なんぞ教えようがないし教わりようもないけれど、ひたすらに走って転んでケガしてるうちに越えてることに気づく。


小さくても大きくても、どこまでいっても端など見えない状況にあって、世界は誰かと私と物事の関係性で成り立っている。この国で暮らしながらどっぷり浸かる窮屈な予定調和とバイアス。ならば日常で起こる、確率変動が私でいい。そのフラグを立てるために喋って動いて働いて、歌って。


リトマス試験紙がほのかに赤紫、青紫に反応するように、フラグに気付いた人は勘がいい。その中には上記のように筋を通さない、深くものごとを考えられない人も混じってくる。私は汚泥に塗れながら汚泥とは成り果てずにうまくやっていける人に用事がある。まともに話が出来る人と、かしこく逃げ切らなきゃいけませんので。

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