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執筆者の写真Keiori Takagi

次のことをする準備

更新日:2020年1月13日

揺り戻し。これ以上学べることはもうないなぁと思ったら卒業の合図…のはずが、新たな環境に向かおうとすると必ず『元に戻そうとする力』が働く。

ぬるま湯にゆるっと浸かるのを懐かしがっても良いことはない。次のことをすべきなのに決断を遅らせるのは、良からぬループをもう一巡二巡と余分に受け入れてしまうことになる。ひたすらこちらの方が色々と妥協せざるを得ず、なんで?またこれやん?って思いながらもひたすら周囲に合わせ続けるというのは苦しいものだ。

新しい環境に移るのをやめたら、戻ってほしい側からすると安心だろう。ありし日の私を見て、そうそ~う✨このままゆるっとしてりゃいいのよ~変化なんかいらないっしょ?しんどいだけだよきっと~あなたはいつも通り、私たちとゆるっとしてたらいいのよ~と、まるで他人の成長を止めて安心しているみたいだ。

そんなわけで、もう卒業だなと思ったら引き戻されても振り切って出て行くときが来る。たまにお義理とか度重なる説得、情みたいなもんにがんじからめにされる。無理して戻っても、同じ悩みや課題を堂々めぐり。人間なんて勝手な生き物。自分の都合でこちらの取捨選択にずいぶんと関与してくるものだ…利用価値があればなおさら抱き込もうとする。支配、したいのだな。

自分の選択に責任を持ってつかず離れずが一番だ。奈良に来て13年、何回か大阪の実家付近に帰ろうとしているのにそうならず。ニュートラルにしてると奈良側から私を引っぱる力が働く。つい最近まで職場が生駒で、次は大阪に出ようかなぁと目論んでいたのに引き戻されちゃった。

でもこれは同じことの繰り返しじゃない。私にとって確かな新たな学びが見込める一歩となっているし、提示された条件が新しい自分に相応しい。まるで次の大事な仕事みたいに、勉強=ライフワークとすんなり受け入れている。18の頃とは違うのだ。

勉強したいことがそこにあるんやから選びようもない。娘は小学校のみんなと離れたくないだろうし、大阪へ帰るのは少し先に。またしばらく奈良にいることになった。しかし大阪方面にも拠点を持っておくべきだ。特に音楽方面。

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