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クリエイティヴの本質

執筆者の写真: Keiori TakagiKeiori Takagi

よく勉強して、違いが分かる能力があったとして。


いろんなモノを観て経験して、なにがすごいかよく分かったうえで。


誰もがまだ見たことがなく、それなりに目と耳が肥えている人からしても、


『あなたのやっていることは、


こんなに深く掘り下げている私ですら見たことがない… 』



そんな風に、まずは鏡に映る自分に、



言わせるところまでいかないとね、ダメ。


誰にも似ていない、



よくよく考えたらこんな人いてない、


それってオリジナルやなというところまでいこうとしたら、



オリジナルで居続けようとしたら、


他とは違うことをやり続けなくてはならないのだし。



分かろうとする感性に乏しい人からしてみたら


親切にも万人に分かりやすくなんて創ってあるハズもないんだから、


分かりやすくないわけです。



だから自分のやっていることなんて価値のないゴミだと


間違われることもしょっちゅうある。




実際、そりゃしかたがない。



話の通じる相手ばかりではないんだし。



誰も彼もに理解されるほど浅くはないし、


なにやってるか分からない人の方が多いのは承知の上なので。





私は超絶飽きっぽい。



なんで飽きるかというとだいたい、


『見たことがあるから。』なんです。



無難なものは、さして冒険していないからスリルとは無縁で。



危なくないジェットコースターなんてたぶん。。。ちと退屈。


そういうモノゴトに自分の大切なお金と時間を使いたいかというと、


使いたくはないのが本音。



その場にいる大多数のひとがひとめ見て、


『いいね!』って思うものは、冒険していない分ありきたりで。



前例がある安心感というか。既視感だってあるし、


多数派がすぐに集まるでしょう。



類似の成功例がある=いけるんちゃうかって。


よく分かっていない人たちからすると、すごいんちゃうかって思うのも分かる。



でも観たことあるからって


そこから共感力に変わってしまっているなら。



似たり寄ったりの売り文句の、


行列が出来るラーメン屋さんや生食パンの店みたいに。



ある意味でありきたりだからすぐに人が集まる。


それはやっはり浅いんだろうし、


何かの二番煎じから抜け出せていない。



深いところまで掘っていかないと、掘り続ける視点がないと、


ただの模倣に終わり、新しいものには程遠い使い古された、


ありきたりのものしか作れなくなる。


そして思慮に欠ける浅さを、作品としてどう受け取るか。


飽きられるのも超早い。


そんな理解なんて、要らないや。






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