お正月。風邪で寝込みました。でもゆったりと実家PCを修復していて、まとまった時間ができたから執筆活動と参りましょう。PCみたいに私の脳内からも外部に書き込みしておく。もう過ぎ去ったことは外部接続でいい。常に新しいことを入れるために吐き出さないと。
ではでは、※以下の作品、話のプロットはタカギカオリ個人による創作物であり、事実とは全く関係ありません。実体験に基づき、着想を得た、まったくのフィクションです。
↓それではどうぞ、ご覧ください。
なんでもかじりたての頃に、いろんな人がウヨウヨ周りにいたなぁと振り返るものだ。例えば英語。勉強し始めて間がないころ、留学したのであればカタコトの英語でなんとかしているときなんかに『俺が教えてあげるよ~♡』と肌の色にかかわらず声が掛かった。そこそこバカっぽくて愛想のいい子が狙われやすい。日本人の男性に相手にされなかった少女は、外国の男性の優しさにコロッと騙されて、もうやりたい放題だ。そして捨てられる。でもうらやましいな…残念ながら私は歯並びも悪く粗野な感じの姉ちゃんだったのでそこまではチヤホヤされなかった。
たまにはあるにはあってもあまりに私がそっけないから、隣にいてる全然会話に入ってなかった子を引き合いに出して『僕はあの子と遊びたかっただけだよ…』と飲んでる席で友達に怒られたりした。もちろん、どう考えても私の気を引けなかったクズ外人が、せめて酒を飲み続ける私と哀れな友人の仲違いさせようと目論んで落とした地雷だが、隣にいた頭がちょっと足りなかった私の友人は全然気づかず『はぁ?ちょっと私目当てやったやん!』みたいに一人で盛り上がって、まんまと罠にハマるわけです。ああ、憐れ…あんたモテなさすぎやなぁと現場で突っ込んだりはしなかったけども。とにかくどの世界でも始めたての時に自分色に染めたい人は多い。特に男性。
話変わってJAZZ Singerは多い。特に女性。Standardの中でも佳曲的存在のうんちくをGoogleから引っぱってこようとすると『Jazz Vocalist 〇〇のページ』『S’ワンダフォー Jazz Singer 〇〇’s Page』なんかのブログが鬼のように出てきて本来調べたい英語のページに辿り着けんやんかと悲しくなってくる。うかっとヒットしたから中に入るとその内容たるや、なんか、収穫がない。知ってる知識や焼き直しの感想とか、そんなんばっかりだ。お店の経営状況や入ってくるニュースを考えると、どうみてもJazz自体は廃れていってるのに?ここで私はちょうど噺家の故・立川談志師匠が立川流家元になったときの話を思い出した。
勢いで落語協会を脱退したものの、自分も自分の弟子たちも定席ではできず、お客様の前で研鑽する舞台がなくなってしまったり、大変苦労した頃の話を本で読ませてもらった。落語自体は漫才やその他お笑いにとって代わられて能や文楽みたいに古典芸能になってしまうのかと憂いていたところ、弟子入り志願者だけは殺到したらしい。だから芸能人枠や一般枠などを設けて皆で落語を学び、楽しんで披露する場を作ったそうな。その時入会金というか名前登録料〇万円、月謝〇万円と会費のようなものを取って教えていたそうだ。そりゃそうである、ただで教えるわけにはいかない。これと同じことがJazzの世界でも起こっているようなものだ。
まずは飲みに行って見学、そこでこんな曲を歌うのねとお勉強した。そして自信がついたら初心者Sessionで歌う。するといろんなことを教えてもらえる。譜面はこんな風に作ったらいいよ~、練習はこういうアプリもあるよ~と。なかなか親切だ。しかし中には知識をひけらかして偏屈な感じの人もたくさん混じっている。落語の世界でも似たような人が現れ、重箱の隅をつつくようにくすりと笑いに来るような感じになった…となにかで読んだ。声の透き通った若い子に『サラボーンのように歌え』だの、『ビリーホリデーしか歌は認めん』だの、どうでもいい話を展開してくる。そんなに若い女性に絡みたかったらスナック行けよと内心突っ込んでいたが、懐さみしく、音楽もして姉ちゃん遊びもする余裕はなく、それはかなわないのだろう。あとは暇すぎるのだ。
そして変なビジネスの勧誘もある。まずボイトレ信仰。『誰かに習ってんの?』って聞かれて『いいえ』と答えると、『習ったほうがいいよ!タカギさんの声、習ったらものすごい良くなると思う。』などと言ってくる例。なんでも習わなければいけない信仰とでもいうか、独学でやろうっていうこちらの気持ちを尊重しない姿勢。おそらくその方の中では習わない人なんていないと思っていたのだろう。しかしずいぶん身勝手な考え方だなぁと思ったものだ。数年後また歌ってみたところ『ずいぶん良くなったよ!』と言われたが、その上から目線なコメントも相変わらずでハイハイて感じだった。悪くなってたよと言われるよりはマシか…と矛先をおさめることにした。
先生をされている方に何人かお会いする。その全てではないが、たまに生徒をよくしようと尽力しているのか、それとも本心ではつぶそうとしているのか分からないこともある。ハッキリ言おう、先生だってめちゃめちゃ売れたいのだ。あるいは売れたかったのだ、今頃各地でワンマンLIVEしてる予定だっただろう。だけどかなわなかったのだけど教えるのは上手いよって人もいる。この中途半端さがときとして生徒へ向かっていないか。早く一人前になって自分のもとを巣立ってほしい気持ちはあるが、いつまでも子供のままでいてほしい気持ちが相反していたり。子供にしてみたらウロボロスの環状態。噛み切って巣立っていかにゃ、大きくなれんよ?と思ってたりする。
ワークショップの類いも歪んだ解釈に利用されがちだ。いろんなとこで活躍した方をお招きしてビシビシ厳しいことを言われながら、参加者全体で切磋琢磨する…などとは聞こえがいいが、そのほとんどは先生の耳心地が良いようにやるにはどうしたらいいか、わがままにこたえきったら一人前、みたいなことかなぁと結論付ける。あの先生のところでずいぶん鍛えられたからねぇ~って武勇伝みたいに語りたい=辛抱した自分は凄いと言われたい…みたいな捻じれた図式に引用されるようで腑に落ちない。そういう人のSNSは『〇〇さん曰く、』とか名人・偉人の名言集みたいになっていることもある。ようは、自分の言葉で物事を振り返ることはできず、寄らば大樹の影が安心という心理も見え隠れ。
特に教えてなど要らないのに必要以上にワークショップみたいにしたがる人もいる。ただのSessionに飽きてきて、そろそろ自分が自分色に作り上げる集団が欲しくなったというところか。プロかアマかは置いといて、長いジャズマン人生、ダメ出しをしたくて仕方がないのだ。一昔前ならその考え方でついてきてくれる初心者もいただろうが、今の時代にはふさわしくない。Sessionに来られる方は、仕事、家族関係でストレスを抱えがちな日常の”息抜き”に来ている人が多い中で、お金を払ってまで怒られに来る人はあんまりいないだろう。そういうのはほんとにワークショップ開いてやったらいいことなのだ。ふわっと音遊びしよ~お手合わせよろしくお願いします~と軽い気持ちで行って、まだ始めたてのピアニストさんがめっちゃダメだしされたり、逆にちょっとあなたみたいな人がガツンと言ったほうがいいんじゃない?ってボーカルさんのことをスルーしたりする。『期待している人にしかダメ出ししない。』のだそうだ。ダメ出しの仕方を音で知らせる、であれば粋なのだが。
また、そういう人がピアノやギターなどのコード楽器をやらない場合も見ていて『?』である。Hostさんが愛情をもって、良かれと思って間違いを指摘するというのはありがたい話だ。しかし、そこを他人任せの人にしておきながら、よく考えたら別にその人じゃなくてもやってる自分だって分かっているところを重箱の隅をつつくように指摘するのは人に教えるセンスがそもそもないのかもしれない。1~2度は『ありがとうございます』と聞いていても、しつこいと自と他の区別がつかない”真面目系のあかん人”やと気を付けて応対する必要が出てくる。もう接し方がただのアレな人になって疲れるのは周り。行ってる本人だけハッピーそう💦闇が深い。
そういうややこし系の自由にさせてしまうHostさんも時流を読む力などないと言える。ただ職務の怠慢をしているだけなのだ。自分が仕切れないのをピリッと代わりにやってもらって、黙って言われたとおりにしているだけでチャージバック貰って帰れてラッキーぐらいにしか思っていない。ここに絶妙な共依存関係が出来上がる。そして標的になった人を重点的にダメだしする。その様はいじめに見える。老いて耳の聞こえが悪くなっている人に向かって”テンポをしっかりしなきゃだめだ”と力説したり、明日は我が身だとは思わないのか。人は誰でも老いるのだ。痛みが分からない人間が常駐する集まりがどうなっていくのか、入ってくる情報から引き続き分析していきたい。
思い返せば日本には先生が多すぎる。音楽も。自分の演奏活動だけで食べていけるわけもなく、生徒を持つ。そしてLIVEもする。これを日本ではプロと呼ぶ。歌のことに限定して書かせてもらうが、ボイトレやったほうがいいのん?って一時期先生探したけど、納得できる人はいなかった。私としては”武道館or大阪城ホールで〇〇というアーティストのサポートで歌う。”や”本場ニューヨークで研鑽し、プロデビュー。ブルーノートレーベルから4枚CDをリリース後、結婚を機に日本に拠点を移す。”くらいの経歴がありそうな人を求めていたが、そういう人は自分の活動に精いっぱいで人に教えている場合ではないのだ。
プロに演奏を頼むならギャラがいるんで、とか営業してくるプレイヤーもいる。みんなプライドがあるのだ。大変結構なことだが、そういう人は夢がない。音楽家は夢を見せるのが仕事なのに、新しいボーカルを見つけてはカモにして自分の活動の肥やしにする。そういう精神の持ち主の奏でる音楽は尻すぼみである。不器用で空回りしているのではと心配になっているくらいなのにギャラ払って演奏を頼む自分の姿が想像できない。むしろ本職は演奏活動ではないけどプライドをもってプロフェッショナルに各業界で働いて、そして音楽もします…というメンタルの方のほうが信頼出来るものだ。視野狭く一つの業界にこだわらず、それぞれの道ですでにご飯を食べて重要な職務を全うしている人間の奏でる音楽を私は愛する。どの世界にいてもプロフェッショナルの流儀は変わらない。だから奇跡を起こすことが出来ると信じている。
新しいボーカルは保険の外交員のようだ。昔子供が小さいときにヤクルトで働いていた。前任の方から引き継いだお客様にプラスして定期的に新規のお客様も出来て、一年を通して売り上げはほぼ横ばい。売り上げ本数が飛びぬけて良かったとかではないが、ありがたいことに信頼していただいて一度お客様になってくれた方たちが辞める日までずっとお客様で居続けてくれた。そのデータを見て、この数字はすごいなとマネージャーに言われたものだ。顧客定着率が№1だった。そんなこともあってどこかで接客態度を見られていたのか営業所からの帰りに保険の外交員にならないかとスカウトされたことがある。ちょうど次の仕事を探しているところだったし、お弁当なども出るということで〇〇生命の会議室でビデオを何本か見せてもらった。
同じ部屋には私と同じくどこかで声を掛けられた方、ママともや友人に誘われた方など、20名ほどがいた。1日目は大した内容ではなく、保険の勉強入門編といったところか。なぜ必要なのか、どんな仕事をしているのかがリアルに分かった。2日目の最後にはカリスマ外交員の方が出演するビデオ鑑賞。本題はラスト5分のこの一言、『働き始めるにあたって家族全員、親族全員の保険を〇〇生命に契約しなおした。そりゃ当たり前や。だってうちの商品が一番やもん。』のようなくだりが出てきたあたりで萎えた。一旦家に帰って、そして丁寧に電話で断った。何度も諦めきれずにとにかく話をしましょうとコンタクトをとってくる。でも、『私はそういうことは出来ないんで。』と断ったのだ。家族には自分たちが選んだサービス(保険の内容)を選ぶ権利がある。わりと親戚との縁が薄い生活をしていたので、身内に迷惑を掛けるようなコミュニケーション全般が厄介だっただけだ。
外交員の仕事は新規の方を勧誘して、その身内の方をすべて〇〇生命と契約してもらう。あとはその方の努力で営業し続けられるが、向いていない人はどんどんやめていく。しかし、契約してくれた終身保険は残っていく。解約したとしても損になってしまうと考えるのでは。そこが狙いだ。身ぐるみはがして放り投げる、そのあと営業の仕事が続いていく人はひと握りなのかもしれない。とにかくギラギラしているかホステスみたいにたおやか…に見えてしたたかな方が多かった。あの説明会やビデオ鑑賞会には私と同じように初めて話を聞きに来た人も混じっていただろう。しかし、今思い返せば保険会社の職員さんがサクラで混じっていたのではないか。契約書にその場で必要事項などを書き込んでいる人が数人いて、私もやってみようかなと少しでも思っている人なら気軽に一歩を踏み越えさせようという作為的なものがあったのではないかと振り返る。
店が新しいボーカルに出会ったときの対応もコレと全く同じである。まずはあいさつ程度に初心者Sessionで譜面など持って行かずとも生演奏カラオケからスタート。少しホストさんや演奏する側の立場を思いやれる子なら、ネットで海外のサイトからLeadsheetを拾ってきたり、本などを購入して3~5部印刷して持ってくる。ここがカラオケ愛好的にきちゃった人とボーカル志望の意識の分かれ道。5曲ほど歌えるようになったら他のホストさんのSessionも来てねと誘われる。『ホストの〇〇さんはピアノ上手いよ~すーっごい音色がキレイやから。1回来てみて~。』などなど、要はLiveの聞き専客と同じ対応である。一つのライブに行ったら違うイベントの宣伝を挟む。店の人は新しい客が来ると躍起になって他の集まりにも来てほしがる。
そして2つ目のSessionへ。1つ目か2つ目、どっちでもいいけど自分が求めてるのとは違うんだよねって行かなくなったら『なんで?ホストの〇〇さん、えらい寂しがってたで!?』とか2つ3つ4つ股をかけてほしい店からの要求がだんだんエスカレートしていく。そこをこちらのロジックで丁寧にお断りを入れていく。誤解のないように言うと、どのホストさんもすごいのだ。発展途上で引き受けた方の応援をしたことも何回かあるが、それにしてもすごいことだなと尊敬している。ただ、私が学びたいことを一緒に掘り下げる向きがないと分かったらお互いのためにご一緒しないほうがいい。たとえばStandardには違いないけど佳曲で、あまりホストさんが熱くなれない曲を課題曲に持っていても、演奏に熱がはいらなくて途中で空中分解する。これが何回も起こる=私とは相性が悪い、となる。やりたい曲は4~5曲中1曲で、その大本命を分かち合える人を探さねば…となる。シンプル。
その次はジャンル違いに誘われる。Jazz→Funk、Jazz→Bluesなどジャンルを超えた集まりがあることを宣伝される。Funkはありだなと思い行ってみるが私の選ぶ曲は難易度は高く、曲の認識がないと事故る確率が上がる。ホストさん、曲の認識のある人に囲まれているうちは成立するが、譜面とは違った進み方をしていても訂正されることなく進行する。結果、私の歌が間違っているということになる。あまり難しい曲を持っていけないような雰囲気になったり、私は気を遣いすぎて大変フラストレーションを抱えるのでそういう集まりからは足が遠のく。じゃあ次はBluesは?と誘われるも、嫌いではないのだが本来掘り下げたい分野ではないので丁重にお断りする。
先輩ボーカルさんはLive、というか日ごろの研鑽発表会するから今度来たって~と誘われるようになる。すごい勉強になるよ~聴いとかなあかんわ、などと言われるまま行ってみるが、確かに勉強にならなかったことはない。どんなLiveであってもどんな感想でもお金を払ってみたものについて学ぶ箇所はあるものだ。ただ、Sessionでいつも何十回と聴いている曲を聴くだけのことでもある。セミプロorプロの方のLIVEも然り。1曲聴いたらなんとなく分かってしまうくらいSessionに毛が生えただけのリハしかしてなかったりするさまが見てとれたらゲンナリである。『Jazz Liveの理想と現実』が分かったところで、倍以上のお金を払ってビルボード大阪にホンモノを観に行ったほうが勉強になる。
しかしそんな余裕はうちの家計から出ない。でもYouTubeやFacebookの動画がある。ニューヨークや全国のJazzフェスの模様を生中継してくれたり、臨場感たっぷりに本場を堪能できるありがたい時代なのだからそれで十分である。不景気で客の入りが少なく、どの店も嘆く気持ちは分かる。でも、2,000~3000円で隣のボーカルさんの歌を聴くみたいに身近な時間を過ごすより、10000出してダイアナ・クラールのLiveに行くということが『ホンモノにふれる贅沢』である。私は男性客ではないから、女性Jazz Vocalistの艶めかしいおみ足、胸の谷間、表情などにぐっとこない。だから余計オジサマたちのように2000~3000円がちょうどいい、とはならないのだ。
身近な歌えるホステスを求める文化に合致するように仕掛けているのだから仕方がないのだが、私も痩せないとダメだよ?と求められたりボーカルの人にまでそんなに食べてどうするの?って言われたことはしょっちゅうあった。歌より見た目、この文化は滅びることなく形を変えてビジネスとして残っていくことだろう。しかし私は別の楽器を持っている。この体になってから歌の鳴りが良くなった。昔の自分より響きが好きになったのだ。だから変えるつもりはサラサラない。考え方のベクトルが違いすぎる、見た目は加齢とともに衰え、誰かと結婚したり子供ができるとSNSのいいねの数が激減する。そんなの切なすぎる。そういう人と同じ方向へ走ってはいないのに、まだセクシャルなものを私に求める。痩せていようがそうでなかろうが好みの問題のようだ。どういう自分でいようが、闇が深い人はどこにでもいる。
しばらくしたらホストさんとLiveをしたら?と持ち掛けられる。ミュージシャンは貧乏だ。タカギは話の分かる女だからギャラを払ってビジネスでなら引き受けますという立場をとる方が多い。公平に折半で引き受けてくれる方は神様だ。しかしビジネスモードも全くその通りだ、言ってる気持ちがすごく分かる。他の関係者に理由を聞かれたときに返事に困るからだ。『まさか、ノーギャラで引き受けたんですか?』『それとも折半?』→『いや、ちゃんとギャラをお支払いいただいたんで。』となれば他のミュージシャンに示しがつく。嫉妬深いボーカルは多い。そしてミュージシャン同士ギャラの話や裏事情を根掘り葉掘り共有しているのだから厄介だ。『じゃあなんで今まで一緒にやりましょって言ったのに私とは断ったの?タカギとだけズルい。』となっては困ることになるのはホスト側の傷にしかならないのでは。とにかく女性のそういうのは同性であるタカギとて面倒くさい。
こちらにしてみたら、たとえばそのホストさんとLiveをするために〇〇円払ったとしよう。そのウワサが他の演者さんに広まる、すると私に会うたびに『あの人とやったら〇〇円』という変な知識が入るだろう。そういう目で見られたくはないのだ。だから今のところプレイヤーの皆様に私から包むギャラはなし、それか私に支払われた交通費があるならば、それをそっくりそのままお渡しするだけだ。そのミュージシャンも集客を積極的にしてくれるぐらい熱が入ったユニットやバンドなら別だが。特定のファンがいない状況で、集客を店やフロント任せにするならなおさらである。そこまでしてLiveをしたいと思っていないし、したとしても譜面ガン見か、一切見ない代わりに曲の進行を歌の私が合わせにいくLIVEとなる。私に歌詞を覚えさせたりするならば、引き受けたミュージシャンの方にはプライドをもって曲の知識を頭に入れてほしいと願う。そうであるならば〇〇円お支払いすることも惜しくないと考えるだろう。
昔初めて来られたらしいボーカルの方が結構仕上がってる方で、ほかの集まりにも誘われて行かはって、そこでLiveをすることが決定してた。もちろんその集まりの方にバッキングしてもらって。私はこれを知って本当に恐ろしくなり、その件があって1年半ほど、どれだけ誘われてもその集まりに行かなかったことがある。急に店プロデュースで話がまとまってLive、これほど恐ろしいことはない。私には私のビジョンがあるし、方向性があるのだ。あとはバンド組んだら?って中途半端に話を振っておいてその後進展なしとかも苦手。花の命は移ろいやすく、女の気持ち、特にタカギみたいな人間などは考えてることが朝と晩で違うくらい変わりやすい。なんでも諸行無常であり、どうでもいいニンジンぶら下げられてそれに向かって必死に走り続けると思われたんかいなと周りに誤解させたことを反省しさえした。
鉄は熱いうちに、なにごとも旬がある。自らをSessionや多方面にプレゼンテーションしているうちに、活動の極めて初期に出会った素晴らしいミュージシャンの皆さまが一緒にやりましょうと声を掛けてくれた。種をまいて3~4年。出会った頃には他のバンドなどで精力的に活動されていた。そんな中、Facebookなどでずっと繋がって、時折顔を見ながら、そしてタイミングが合って縁が繋がった。不思議なことにだいぶん未熟な頃の私を知られていて、あれから今までをそないに近い距離でいたわけでもない。それでもなお、『あなたの声は一回聴いたら忘れない。』と覚えてくれてたのだと、こんなVocal冥利に尽きることはなぁと思った。ほんとに音楽が生まれるご縁って店の利益のためじゃない、Sessionを存続させるためじゃない、純粋な音楽の生まれる土台のところはこんな感じでは。
保険の外交員の話に戻せば、ボーカル志望者=新しい保険外交員候補者である。『うちで働くためには親戚、知り合い、ありとあらゆる人にうちの保険に入ってもらいます』って言われるのと同じで『うちでLiveするためには家族、友人、職場の人、ありとあらゆる人を店に連れてきてね』ってことである。そして連れてきた家族、友人、職場の人に他のイベントに来てもらえるようお店の人は接客する。Sessionに上司を連れて行っただけでもそうなる。『このバンドはすごいですよ~…』と次から次に矢継ぎ早に店の宣伝を畳みかけるのだ。しかし用事があるのはほとんどの場合ボーカルだけやろうし、空回りすることが多い。中には一部、たしかに興味を持つ人はいるかもしれない。そのためにまんべんなく告知する。
店を構えるということは新規のお客さんを獲得しなければならない。そんなときに新しいボーカル、プレイヤーの連れてきた客を他のイベントにも来てもらえるよう働きかける。別に普通のことだ。こういうときには店の存続がかかっているので、Sessionホストも渋々店の言うとおりにLiveのバッキングを引き受ける。しかしボーカルにとってはこの集客システム自体に疲れていく。1~2度ならいい。お義理で来てもらえるのもだいたい1~2度までだろう。そのあとは自分の力でしっかりやっていかなければならなくなる。そしてまたSessionライフを続け、また半年かけてお客さんを温めて、また自分の知り合いをお店にご紹介して、発表会も無事終わって、Sessionして…の無限ループ、という事例をよく見る。Vocal初心者はこれに陥っていくのを見る。
そこそこ続いている人は見た目にも艶やかな方が多い。ぶっちゃけ歌や音楽などなくても、普通に夜のお店で働いていたらいくらでも指名が取れそうなのだ。そういう方はラッキーだがやはり長くは続かない…先に述べたようにオジサマたちの夢を壊さないように生きていく覚悟がないと、ずっと指名を取り続けることは難しいだろう。ホステスと違っていくらでもJazz Singer志望者は生まれるかといったら数は少ないが、少なくとも出入口のあたりでJazz始めようか迷ってる子たちは日に日に若くなっていってる。POPS、ROCK、オリジナル弾き語り、バンド…などからJazzへ流れてくるお嬢さんはこれからも増え続けるだろう。それに対抗できるだけの策をこうじている人、そういう取り組みをしている人だけが生き残れる。
集客ができないんで💦とワンマンLiveを断ると次にオープンマイク的なイベントに呼ばれる。5グループ出演する中のどこかで1グループとして友達と一緒にやったら?と言われる。それでも店的には集客はすると見込んでのことだろうが、もし0人であっても対バングループのお客様も居てる、そして対バンの方たちがお客様でもあるというシステムだ。しかしそこまでしてLiveをしたい欲がない人間からしてみたら、またいろんな人と知り合って、Facebookで繋がって、LIVEの告知がメッセで入るようになって、それを時間がないのですという理由でお断りするのが苦しくて…という悪循環が増えだけだろうなぁと思うと最初から交友範囲は広げないほうが無難である。
どのイベントでもそこでひいきにしている歌い手、演者さんがいる。どれだけ通りすがりの人を立ち止まらせる名演をしても、結局重要視されるのは贔屓にしてる子と決まっているのだ。新人発掘オーディションなどもそう。この子がグランプリやろと思っている子が準優勝、あるいは3位、事務所がひそかにバックアップしたい子を優勝させるべく開催されたイベントだったりするのだから、この場合本当に実力があるのは準優勝か3位の子である…という話もよく聞く。売るためにはサービス提供側はなんでもするのだ。であるならば、私は自分の気心知れた人たちと新たにイベントを作っていく、歌う機会を自分で得ていく、必要であればいろんなところに出向いて力を貸してもらうというスタイルでやっていこうかなぁという結論になった。
このトピックの『初心者、ビギナーあるある』は誰でも通る道だ。しかし自分に正直に思った通りにしてみたところ、自分の家族、親族、友人、職場の人、あるいは同業者を集客のために積極的に誘ったことはまだない。なぜなら私のお世話になっている人たちには好きな娯楽に興じる自由があるからだ。保険と一緒である。どのサービスを利用するかは自由なはずなのだから、自分のLIVEとて同じことだ。「歌うときはぜひ声かけてくださいね!」と言われていた場合と、家族であれば写真撮って~とか、同業者に至っては同じボーカルにはもうほとんど声を掛けない。特にSessionでご一緒してる人は。いろんな複雑な思いが絡まって、私のほうが遊びに行くことはできても向こうは難しいのが分かるから。
こういうのはSNSのいいね状況で分かる。Cafeでデザート食べました~などのたあいのないものはパッパと押せてもLIVEやイベント情報となるとサーーーっと引く。行くと勘違いされたら困るもんなぁと受け取る人と、あえて静観しておきたい人、頑張ってやーって気持ちで背中押してくれてるんやなぁってのはなんとなく分かれるものだと分析。スマホが壊れたときにfacebookを入れ直したのだが、その時に誤操作でfacebookアナライザーというアプリが一緒に入った。動作が重たくなるのでもうアンインストールしたが、そのアプリの解析で”自分の投稿を何人が中に入って読んで、何人がいいねしたか分かる仕組み”があった。例えば”平均的に60~70人が全記事画面に進み、いいねは10人前後”という計算だ。
わ~みんなエロいなと。いいねとは思わない、でも近況は押さえときたいということか。だからかしら、他のボーカルさんが私の投稿後に似たアプローチかあるいはアンサー的な文章を上げることがある。Jazz的になぞらえると私がI'm in the mood for loveと歌った後で、♪There I go there I go there I goとmoody's mood for loveが始まるようなことになる。しかも既出のin the mood for loveが無かったことにされて急にThere I go there I go there I go♪…なのだ。それも最近あっさり受け入れられるようになってきた。発信源があってこそだし、光栄なことに私の語り口、モノの見方そのものが、その方の暮らしのヒントになるというか、インスパイアされたというか、何かになったとうことでしょう。
と同時にいいねしたくてもできない方がいることを忘れてはならない。同業他者が見ている中で気軽にいいねすると角が立つとか、立場上そこに名前が連なることで他の方への示しがつかなくなる、だから一括でしないことにしているなど表立ってやらない人もいる。アナライザーの状況をみて、いいねしようがしまいが関係なくUPしますと方針を変えたところ『いつも読んでます』『めっちゃオモロイ』など反響はあった。普段いいねしてくれる方は本当にありがたい方だからお互い切磋琢磨してこの先何十年とよろしくお願いしますという感じだ。事情はあっていいねはできないけど読んでくれてる方も、私との縁を離さないでいてくれている方なので大事に思っている。
普段特にいいねしないのにイベントやLIVEの告知だけは送られてきたり、出欠を知らせましょうと何回も催促が来るのは…It's too automatic.だ。特にコミュニケーションなしにお誘いが来たり、事務的に写真が送られてくる。多分自動的に全員にコピペしてるかボタン一つで催促してるやつなんでこちらもスルーさせてもらう。そうやって何十件と来るんだから仕事の合間にいちいち返事してたら日が暮れるじゃないか。ここ数年は『行きたかったらこちらからチェックして行きますんで』と一斉に自分の投稿から詫びを入れている。
体調不良や身内の不幸ごとなどの情報にキャッチアップしてくれるので全体的に公開する近況=facebook、そうでもない雑記=インスタ、さらに深淵まで続いていくのがこのブログ、となっている。あとツイッターもそろそろ再開したい。facebookは広がりすぎて、自分の上司世代より上の人も読んでいるから書きにくい話題がいっぱいだ。ジェネレーション・ギャップに形を変えたパワハラ、笑って済ませるやつならいいがちょっとアレな反応のやつも見る。そこへインスタとブログだ。私の破天荒発言ぶりに理解のある徳の高い方であればいい、温かく見守ってくれるだろうが、やはりいろんな人がいる。興奮と反応度が高いのだ。SNSだからTake it easy…と言ってあげられない。距離感が難しい。
変な発言をしてても個人のページなのだからスルーしたらいいのに苦言を呈しに来たり急に店の宣伝をぶっこんできたり。ちょっとアレな人も混じってくるので兆しが出たらすぐブロック、それか距離を置く。こうしてみるといちボーカルでいるだけでもいろんなとこから圧力がかかっている。Pusherに次ぐPusher、汚泥に引きずり込もうとしたり、小さい箱に閉じ込め続けようとする。いつかのためにない時間を削って準備するこちらの鼻っ柱をおもんないからへし折ってやれとばかりに邪魔だてをしてくる。しかしそういうのがわんさかいるのが普通の人生だ。私はもう初心者ではなく、始めたてで自信などこれっぽっちもなかった昔の私ではない。ある程度考え方の地盤を固めたから、英語や海外暮らしに不慣れだからと舐めてすり寄ってくるあのクズ外人達をここで思い出す。
右も左も分からんうちにだまくらかして、甘い汁吸えるだけ吸い取ったろという下心満載の客や自称Jazz通&ご意見番の皆さんはクモの子を散らすように消えてなくなった。あの頃私に言ったこと、やったことを一言一句書き記してもいいくらいだ。酔っ払った上でのひどいやり取りを忘れることはないだろう。忘れていないうえに許しもしないのが分かるから、二度と目の前に顔を出すことなど出来ないくらいなのだ。恣意的に女性を傷つけて自分の立場を守ろうとするあかん人たちをも受け容れる、心の広いゴッドマザーなどこの世にはいない。それはお金払ってどっかのお店でやっといで。一切お金を払わずやりたい放題とはどういう了見なんだろ。何気なくやったこと、言ったことではなく日頃からの積み重ねであったりする。愛せないから通過させるだけだ。いつだってプレイバックできる。つまり考え方と態度をあらためる姿勢が見てとれるまでスルーである。
そういう人が集まりそうなところは分かっているので私のほうからも行く機会はないし、よっぽど偶然が重ならない限りお会いすることはないだろう。生の英語を勉強している女の子の周りにやたら軽いノリの外人が群がらなくなったとき=初心者は脱したというバロメーターになる。すると私も少し前に音楽の分野でその域を達したことに。この業界の端っこから端っこまで駆け足で見渡して、数々の地雷を踏まず、挑発にはのらずにコツコツ自分の学びを掘り下げていくのは本当に大変なことだった。こいつは食えねえなと思われるってことはここからが実力の見せどころ。歌を通していくつかの揺るがない真理を見た。これから一つ一つ、体現していこうと思っているし、サービス提供側のロジックに相容れない形で行動することになるだろう。
ちなみにゴスペルを歌っておいてなんだが、キリスト教的な神は少し解釈が捻じ曲げられていると思っている。居たらいいのかもしれないけど…だから共感して歌うけど神という概念はいいとしてExactlyには存在を否定させてもらう。そういった都合のいい神は、とっくの昔に死んで、皆さんの中で何回も生き返って、さらに何回も犠牲になって死んでいって、そういう風に見えている。その研ぎ澄まされたピュアさに神の姿を見ることはあるが、それを良しとするかは懐疑的だ。その代わり皆の目に見えない生き物を四六時中見ている気がする。人前で喋るときや歌うとき、こうして文章を流し込んでいるときにはそれが暴れまわる力を少し借りさせてもらっている。その透明な水の流れ、放流される様が私にとっての神様による所業だ。
Jazzもとっくの昔に死んでいる。厳密には生きているんだが形を変えてしまった。古典芸能に興じるのと同じ気持ちで向き合うくらいがちょうどよく、そのようなものでLiveをお客さんで満たすのは時代の向きに逆らうようなことだ。しかしながらあの落語と同じでVocalをやりたい人は一定数出てくる。5曲くらい覚えたらリサイタルをさせてくれるお店たくさんある。初心者への洗礼で新規のお客さんをお世話になった店に紹介して丸坊主になったら、次はSessionで知り合った気心知れた音楽仲間と一緒に高槻ジャズストなどにエントリーして歌うといい。プロアマ問わず溢れかえるミュージシャンと歌の人、集客や売り上げのために必死になるお店の事情、それでも増えていく、各地の『ジャズで街おこしイベント』。時代がJazzに要求していることはそっちだ。どんどん著作権切れになっていくのでこれからもっと好都合だ。
それでもLIVEに行きたいという歌い手ってどんなだろう。そりゃもう、関西でそこまでなれたらあっという間に全国区のスターにもなるだろう。そんな人、あんまりいないが。全体的にこじんまりしているマーケットなのだ。私はそもそもそないに目立ちたくはないのでこじんまりで結構。うまいこと、周りの人の心の隙間を埋めたいと思うだけ。年始から私が見ているビジョン。昔からこういうことに放流するための構成分子を見極めて、ひたすら調整を繰り返している。もう歌が記号になってきた、記号を合わせて作り出しているPCみたいなものだ。案外これ、Vocalって気持ち込めるとかどうでもよくて地味~な作業の繰り返しだな…なんて昔から思っている。基礎練習の集大成、それが結実してるのが歌心。
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