top of page

名前は、誰のためにあるんだろう

8月21日
読了時間: 22分

――人の名前から、ユニット名まで考えてみた


名前について、最近よく考えます。

人の名前。芸名。バンド名。ユニット名。

私は昔から、名前そのものにものすごく執着するタイプではありません。


でも、どうでもいいとも思っていない。 だって私もその名前を名乗ることになるからです。



子ども同士で、何かのチームを作る時に考え出された名前と、知識も教養もそれなりにある大人が集まる団体名だと、選ばれる言葉も全然違ってきます。


「名は体を表す」と言いますが、名前というものには、その人が何を大切にしているのか、何を格好いいと思うのか、他人からどう見られたいのか――そんなものが、案外そのまま出るものだと思っています。


そして時には、

その人が他者をどう見ているかまで出る。

最近、そんなことを改めて考える機会がありました。


「福子」という名前が嫌だった友達


中学3年生の頃、「福子」という友達がいました。

彼女は、自分の名前が嫌いでした。

「子」がつく名前の中でもダサい、と本人は思っていたようで、普段はもっぱら苗字由来のあだ名で呼ばれていました。

でも私から見れば、彼女は十分イケていたんです。

勉強が得意なタイプではなかったけれど、服や小物を選ぶセンスが抜群に良かった。

音楽の趣味も似ていて、休みになると一緒にアメ村へ古着を見に行ったり、南港のフリーマーケットへ出かけたり。

70年代の、なんとも奇妙キテレツな柄のシャツ。

赤と黒が入ったベージュのチェックのスカート。

自分一人なら選ばなかったようなものを見つけてくれて、それが意外と私に似合って、何度も着て出かけました。

高校は別々になりました。

それでもしばらく交流は続いていて、ある夏休み、彼女が新しい学校の友達と小豆島へ遊びに行った時のこと。

その友達が彼女を、

「芳香(よしか)」

と呼んだ。

誰のこと?

と思ったら、福子さんご本人でした。

進学を機に、自分で考えた名前を通り名として使っていたんです。

学校も、公的な書類以外ではその名前を認めていたらしい。

驚きました。

少し寂しい気持ちもありました。

私は「福子」という彼女を知っていたから。

でも同時に、

良かったなあ。

とも思いました。

親からもらった名前にずっとコンプレックスを持っていたのなら、自分で「これが私」と思える名前を選んで生きることも、一つの方法なんだと思ったからです。


名前を変えれば、人生は変わるのか


25歳の頃、職場で出会った女性のことも思い出します。

当時37歳くらい。

気が優しく、少し古風で、奈良の神社仏閣にも詳しい人でした。

私は彼女が大好きでした。

ただ、少し潔癖なところがあり、人間関係にも恋愛にも不器用だった。

「両想いになったことがない」

と話していて、自分の人生がどうしてこんなにうまくいかないのだろうと悩んでいました。

やがて占い師さんから、

「名前の字画が良くない」

と言われたそうです。

そして彼女も、本名を封印しました。

「これからは、この名前で呼んで」

と言われました。

手紙なども新しい名前で送ってほしい、と。

通り名として使った実績を作り、いずれ正式に名前を変えたいということでした。

元の名前も決して変な名前ではありませんでした。

私は好きでした。

だから少し寂しかった。

でも、本人がその名前で生きたいというなら仕方がない。

新しい名前で呼びました。

ただ――。

名前を変えたからといって、人間関係や恋愛や人生そのものが、魔法のように変わるわけではありませんでした。

その後彼女は心を病み、食事も取れないほど弱ってしまった時期もあり、私は共通の知人と何度も様子を見に行きました。

この経験もあって、私はたぶん、

名前に人生以上の仕事をさせない方がいい

と思うようになったのかもしれません。


娘には、あえて「子」のつく名前をつけた


娘が生まれる時には、家族に相談しながら、結局「これか!」と名前を決めました。

前年までの人気名前ランキングなども見ました。

ちょうど、いわゆるキラキラネームが増えていた頃です。

漢字を見ても一度では読めない名前も多く、

「この子たちのクラスには、もう『子』のつく女の子なんて一人もいないんやろな」

と思いました。

そこで私は、あえて、

「響子」

と名付けました。

「音」という字が入っていること。

私の好きな『めぞん一刻』の音無響子さんのような、凛とした女性になってほしいという思いもあったこと。

苗字と合わせた時の響き。

読めること。

書けること。

いろいろ考えました。


ただし、ひとつだけ最初から決めていました。

本人がこの名前を嫌いなら、変えればいい。

名前を変える方法があることも教えようと思っていました。


ところが小学校へ入ると、クラス替えのたびに先生から、

「この子は読み方を間違わないわ!」

と喜ばれる(笑)。


周りに「子」のつく女の子がほとんどいないことも、逆に本人には個性として感じられたらしく、幸い今のところ名前について親子で揉めたことはありません。


アメフトの選手紹介パロディ動画です。選手たちが自分の名前と出身校をカメラ目線でアピールしていくのですが、「X-Wing @Aliciousness」や「Torque [Construction Noise] Lewith」など、キラキラネームを超えた解読不能な名前をドヤ顔で名乗り続けます。オンラインゲームの名前付けみたいにww本人たちがその名前を最高にクールだと思って誇らしげに言っているところが痛快。

日本でも、いわゆる「キラキラネーム」をつける親について、あれこれ言われることがあります。


海外でも、名前と親の社会的背景との関係を調べた研究があります。


例えば、経済学者Roland FryerとSteven Levittがアメリカで行った研究では、1980~90年代になると、


黒人社会に特徴的な名前と、母親の年齢・所得・婚姻状況・教育水準などとの間に強い関連が見られるようになったそうです。


ただし、これは「変わった名前をつける親は教養がない」という研究ではありません。


むしろ研究者たちは、1970年代以降に特徴的な名前が急増した背景には、Black Power運動などを通じた人種的・文化的アイデンティティーの変化があったのではないかと考察しています。


また日本でも、時代とともに一般的な名前が減り、よりユニークな名前が増えてきたことを、日本社会の「個人主義化」と関連づけて調べた研究があります。


つまり名前には、

「他の人と同じであることを安心とするのか」「他の人とは違うことに価値を置くのか」

といった、その時代や文化の価値観まで表れることがあるらしい。


これは面白いと思います。


ただ私は、個性的であることそのものには何の問題もないと思っています。


私が気になるのは、

「名付ける人が表現したい自分」と、

「その名前を実際に背負って生きる人」の間に、

どれくらい距離があるのか。


どうも私は、名前そのものの美しさより、その名前と、実際にそれを名乗る人との距離を見てしまうところがあります。



名前は「ギフト」であると同時に「実用品」


ゴダイゴに『ビューティフル・ネーム』という歌があります。

名前って、確かに美しいものです。

親から子への最初のギフトでもある。


聞いただけでは漢字が浮かばない名前たち。

でも同時に、私はものすごく現実的なものだと思っています。

子どもは、その名前で学校へ行く。

病院で呼ばれる。

友達に呼ばれる。

電話で説明する。

履歴書に書く。

仕事をする。

恋愛をする。

年を取る。


つまり、

親は名付けるけれど、その名前を何十年も使うのは本人です。


私は、ここを忘れた名付けに少し警戒します。

「人とは違う特別な名前をつけたい」

「自分のセンスを表現したい」

「こんな素敵な人間に育ってほしい」

その願いが悪いとは思いません。


でも、それが強くなりすぎると、名前が子どもへの贈り物ではなく、

親自身の自己表現の作品

になってしまうことがある。


そして「こうなってほしい」という願いが強すぎれば、今度は名前が本人にとって「理想という名の枠」になることもある。


名付ける側は気持ちいい。

でも、

名乗る側はどうだろう。


私はどうしても、そちらを考えてしまいます。


ユニット名でも、同じことを考える


ここ数年、音楽活動の中でバンド名やユニット名を決める機会が増えました。


私自身は、他にネーミングセンスのいい人がいれば、お任せしてしまうことも多いです。


集まりの趣旨に合っていて、覚えてもらいやすく、活動する人たちが無理なく名乗れるなら、それでいい。


名前を考えることに一ヶ月使うなら、曲を一曲仕上げたい。

そんなところがあります。


高槻ジャズストリートへのエントリー締切まで、あと一時間もない。

それまで「今年は出ない」と言っていたのに、急に、

「やっぱり出る?」

となったことがありました。


名前がない。

JAZZに関係する名前……。

ん~~~。

「マイルド・デイヴィス」で、いい?

メンバーに聞いて、そのままエントリーしました(笑)。


Miles Davisの曲をやるわけでもない。



別の時には、ライブまで一ヶ月少々。

そろそろフライヤーを作らなければならないのに、他のメンバーは忙しい。


そこで、その当時に私が読んでいた本、観ていた映画、たまたま考えていたことにちなんで、


「バンド名、“踏み絵(FUMIE)”でいいですか?」

「いいんちゃいます?」


終了。

そんなこともありました。

私はどうも、

名前より先に、音を作りたい人

らしい。


「コンセプトや外見を意識しすぎて空回りしている人」を追い詰める飯塚のツッコミが炸裂するコント。「名前やコンセプトだけが一人歩きして、実体がまったく伴っていない」という大人のイタい現実を突きつけられます。

MCをしていると、名前から既に紹介が始まっている


イベントのMCをしてきたことで、もう一つ気づいたことがあります。

出演者の名前を見た瞬間から、私はその人をどう紹介するか考えています。

例えば、20代半ばの女性がオリジナル曲をピアノで弾き語りし、


「星羅 -Seira-」

というアーティスト名で活動していたとします。

私はたぶん、その世界観を尊重します。

星や夜、光、少し綺麗な言葉。

その人が大切にしているであろうアーティスト性を壊さないよう、少しオシャンティーに(笑)、紹介すると思います。


一方、

「〇〇・△△DUO」

なら、話は全然違います。

そこにこちらから宇宙も神話も足しません。

「ああ、この二人が一緒に音を出すことそのものが重要なんだな」

と受け取る。


あとは実際に音を聴いた後、

「この二人だから、こうなった」

ということを言葉にしたい。


実務的です。

実態に近い。


そして「マイルド・デイヴィス」や「もち米クラブ」みたいな名前なら、

「あ、遊んでるな」

と分かる(笑)。


Miles Davisも米米CLUBも一曲もやらなくたっていい。


ふざけていることまで含めて、その名前の約束だからです。


名前は「私たちをこう読んでください」という最初の一行


そう考えると、名前は単なるラベルではありません。

「私たちを、まずこう読んでください」

という最初の一行でもある。


だから、名前だけが本人たちより壮大になってしまうことに、私は少し違和感があります。

なんとなく宇宙。

なんとなく神秘。

なんとなく異国。

なんとなく精神世界。

なんとなく高尚。


……そうタイピングしていて、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を思い出しました。


「なんとなく、クリスタル」

「クリスタルの恋人たち」

「風のシルエット」

「星のささやき」

「愛のメッセンジャー」


こういう語彙って、今の耳で聞くと、1970年代末~80年代あたりの「ちょっと都会的・ちょっと神秘的・ちょっと洋風」な美意識を感じさせます。


名前を考えていると、その人が「美しい」と感じる言葉にも年代があることに気づきます。

「クリスタル」「シルエット」「コスモ」「ロマン」「メモリー」「エンジェル」。


もちろん、言葉そのものに賞味期限があるわけではありません。

最近なら、昭和レトロとして意図的に使えば一周して格好いいことだってある。


ただ、

新しい名前を考えているつもりで、その人の古い記憶が出てくることがある。

これは面白いと思います。


本当に星が好きで何十年も天体観測をしている人が、星から名前を取る。

インド哲学を長く学んできた人が、サンスクリット語から名前を取る。


それなら、その人の中から出てきた名前でしょう。

大切なのは、

その言葉と、その人との間に一本の線が通っていること。


難しい言葉を知っていることが教養ではない。

その言葉が背負ってきた歴史を知ろうとすること。


「格好いい」だけで借りてくる前に、

これは本当に自分が名乗る言葉なのか

と一度立ち止まれること。


それも教養の一つではないかと思います。


名前やコンセプトだけが先に一人歩きして、実体がまったく伴っていない。


大人になればなるほど、そこは案外シビアに見られるものでもあります。


「私の名前」と「私たちの名前」は違う


そして、一人の芸名と複数人のユニット名では、決定的に違うことがあります。


自分一人なら、

「私はこれが好き」

で決めてもいい。


でも二人なら、

「私たちは何なのか」

になる。


二人のイニシャルを一文字ずつ入れたら、

「二人にちなんだ名前」にはなるでしょう。


でも、

二人にちなんでいることと、二人を見ていることは違う。

私はそこを大切にしたい。


この人はどういう人なのか。

私とこの人が一緒にいると、何が起こるのか。


どこが似ているのか。

どこが全然違うのか。


一緒に音を出したら、どんなものが生まれるのか。


二人の名前なら、

名前の中にちゃんと二人がいてほしい。


一人の理想世界に、もう一人を登場人物として配置したものではなく。

二人の間に実際に生まれた第三のものに、名前をつけたい。


名付けることには、小さな権力がある


昔、笑福亭鶴瓶さんの四番弟子、笑福亭純瓶さんの寄席へ時々通っていました。

純瓶さんのまくらで、今でも覚えている話があります。

ただし純瓶さん自身がいつも、

「ボクのまくらは事実やと思わんといてくださいね」

とおっしゃっていました(笑)。

どこまで実話で、どこからが落語家的脚色なのか。

そこは今も知りません。

その前提で。


鶴瓶さんに弟子入りし、六代目笑福亭松鶴師匠のところへ挨拶へ行った。

松鶴師匠はその日は超ご機嫌。

「話は聞いてる。それで名前、決めたんやけどな」

そして、

「笑福亭鶴瓶の四番弟子やから、笑福亭尿瓶や」

鶴瓶師匠は横で、

「お前、良かったなぁ!」

と泣いて喜んでいる。

本人、

えーーー!?

……というお話(笑)。


その後すったもんだがあり、「純瓶」に落ち着いた――というまくらでした。

私はこの話が大好きです。

だって、名付ける側は大満足なんです。

師匠が考えてくれた。

意味もある。

覚えやすい。

一度聞いたら絶対忘れない。


でも、

これから「尿瓶です」と名乗るのは誰やねん。

という(笑)。

名付けることには、案外小さな権力があります。

だからこそ、

「私はこの名前が好き」

と、

「共同体の名前として、それはどうなのか」

は、少し別の話なんだと思います。


カレーライス師匠に怒られる


そして名前について考えすぎると、私は必ず『ダウンタウンのごっつええ感じ』の「一本立ち」というコントの、

「カレーライス師匠」


こちらはショートバージョン。

を思い出します。

リアルタイムで見て、腹を抱えて笑いました。

何十年経っても覚えています。


こちらは「1本立ち」のコントにプリズンブレイクの動画をミックス。年に1度は見返して笑っているかもしれません。

そもそもダウンタウン自身も、最初から「ダウンタウン」だったわけではありません。 テルオハルオとか、ライト兄弟とか名付けられてww

いくつかの名前を経て、最後には自分たちで「ダウンタウン」と決めた。

そして今では、「どちらがダウン担当やねん?」と聞かれることもない。 「ダウンタウン」という普通の英単語を聞いても、多くの日本人はまずあの二人を思い浮かべる。


つまり、

名前が彼らを大きくしただけではなく、彼らが「ダウンタウン」という名前を育てた。

ここは結構、大事だと思います。

名前に自分たちを説明させすぎなくていい。

活動していくうちに、

自分たちが、その名前の意味になればいい。


美しいものを探しすぎて、美しさを壊すこともある


そして今回、名前についてあれこれ考えていて、もう一つ気づいたことがあります。

名前を考える作業は、料理にも少し似ています。

最初はいくつかの材料だけを使って、丁寧に火を入れる。


すると、透き通った綺麗な出汁が取れることがあります。

味見をして、

「うん、これでいいんじゃない?」

となる。

本当は、そこで完成です。


ところが翌日、

「もう少し甘みがあった方がいいかも」

と、新しい材料をひとつ入れる。

「それなら少しスパイスも」

と、またひとつ。


さらに、

「もう少し華やかに」

「もっとロマンチックに」

「神秘的なのもいい」

「異国の言葉も素敵」

「縁起も良くしたい」

「画数も良い方がいい」

「和風も捨てがたい」

と、次々に材料が増えていく。


一つ一つは決して悪い材料ではありません。

むしろ単体で見れば、どれも綺麗だったり、美味しそうだったりする。

問題は、

それを全部、同じ鍋に入れ始めた時です。


昨日「完成」と言った鍋に、今日また火を入れる。

今日「これで決まり」と言ったものへ、明日また別の材料を足す。


そうして何度も煮直しているうちに、最初に取れていた透明な出汁は、もうどこにも見えなくなっている。

甘いのか。

辛いのか。

酸っぱいのか。

洋風なのか、和風なのか、エスニックなのか。

最初に何を作ろうとしていたのかさえ分からなくなってくる。


私はこういう時、

美しいものを探していたはずなのに、

美しさを探しすぎた結果、

美しさから遠ざかることもあるんだな

と思います。


メイクにも少し似ています。


ここをもう少し足したら綺麗。

ここも隠した方がいい。

ここにも色を入れよう。

一つ一つにはちゃんと理由がある。


でも、ある地点を越えると、

最初にあったその人の顔が見えなくなる。


私も何か違うなーと色々足しすぎたときに、

結局、メイクを落として1からやり直すこともありました。

「あとほんの少し」を繰り返すうちに、本来持っていた良さから遠ざかってしまうことがある。


音楽だってそうです。

音を足せば足すほど豊かになるわけではない。


どこで鳴らすかと同じくらい、どこで鳴らさないか。

何を入れるかと同じくらい、何を入れないか。


創作には、足し算だけではなく引き算も必要です。


そして案外難しいのが、

「もう触らない」と決めること。


「これでいい」

と手を止めることも、私は創造の一部だと思っています。


私たちは、もう十分に熟している


そして、年齢についても、結構現実的に考えます。

いくつになっても夢があっていい。

可愛らしくてもいい。

ロマンチックでもいい。

いくつになってもなんでもこなれてしまわないで、 なんか恥ずかしいなぁと思うことには、

素直に恥ずかしいと思っていることを出してしまう。


「なんでもかんでも通ってきた道よ。」

「知らないことなんてもうないの。」 みたいにガシガシ頑張ったり、開き直るのではなく、

フレッシュなところはフレッシュなままで。


長く生きたからこそ備わる、

人としての”品”のようなものを大事にしたいものです。


とはいえ、これからデビューする10代のアイドルグループではないんだから、何十年も人生をやってきた大人の音楽ユニットでは、同じ基準でユニット名を決めなくて良いはずです。


長く生きていれば、いろんなものが混ざります。

上手くいったこともある。

失敗したこともある。


傷もある。

クセも出る。


甘いところもあれば、辛いところもある。

酸っぱいところだってある。


多少、煮崩れているところもある(笑)。

もう、透明な出汁だけではない。


でも私は、それを悪いように思いません。

むしろ、

熟した人間には、熟した人間の面白さがある。


綺麗なところだけを抽出して、名前の中だけで理想の二人を先に完成させなくてもいい。

実際にその二人を見た時、


「ああ、なるほど。この二人なら、この名前か」


と思えるくらいの方が、私は面白い。


では実際に、ユニット名を決める時に何を見るのか


ここまでいろいろ書きましたが、実際に私自身が名前を考える時、何を見ているのか。

MCとして人様の名前を紹介してきた経験も含めて、一度整理してみます。


これは「全部クリアしなければ失格」という採点表ではありません。

あえて外すことで面白くなる名前もあります。

ただ、

名前を決める前に、一度は考えておきたいこと。


① 一人の「好き」だけで決めていないか


ソロの芸名なら、自分一人の美意識で決めればいい。

でも二人のユニットなら、名前も二人のもの。

「私はこの言葉が好き」

から、もう一歩進んで、

「では、この二人には何が合うだろう」

まで考える。


② 名前の中に、実際の二人がいるか


「二人にちなんでいる」と「二人を見ている」は違う。


なぜ一緒に音楽をするのか。


似ているところ。

全然違うところ。


二人で音を出すと何が起こるのか。


③ 何をする人たちなのか、大きく誤解させないか


音楽ユニットなのに、

ヨガ教室?

パン屋さん?

占い?

スピリチュアルサロン?

としか見えない(笑)。


意図的なら面白い。

意図していないなら、一度考える。


④ 二人の音楽の幅を狭めすぎないか


名前だけを見るとクラシック専門、ヒーリング専門、昭和歌謡専門。

でも実際にはJAZZもPOPSも映画音楽もやりたい。


今の一曲ではなく、

これからやり得る音楽

も考える。


⑤ 名前だけが、実際の自分たちより先に壮大になりすぎていないか


宇宙、

いろんな神々、

そして女神、

天使たち、

永遠。

魂。

奇跡。

光。

使ってはいけないわけではありません。


でも、

「なぜ私たちが、その言葉を名乗るの?」

に答えられるか。

名前だけ宇宙へ飛んでいって、肝心の本人たちが地上に置いていかれていないか。


⑥ 声に出して名乗りやすいか


ライブのたびに自分たちで言う。

MCの人にも言ってもらう。

毎回噛む、聞き返される、発音に迷う。

小さなことですが、長く使うほど積み重なります。


⑦ 一度聞けば、ある程度覚えてもらえるか


高尚さより、案外こちらの方が大切です。

「あの二人、なんて名前やったっけ?」

より、

「ああ、あの人たち!」

となる名前。


⑧ 読み間違い・聞き間違いが多すぎないか


初見では読めない。

アルファベットを見ても発音できない。

電話で毎回スペルを説明する。

その手間をこれから何度も背負うのも、自分たちです。 昔、わりとメジャーになった男性ユニットの初期アルバム作品に『月極駐車場』という曲がありました。


スロウで悲しいムードの曲だったのですが、 サビの大事なところで、「つきぎめ」を、 「げっきょく駐車場...」と歌っていました。


当時の私は中学生だったので、あ、これ”げっきょく”が正しいんやと思いこんだまま、しばらくして”つきぎめ”が正解と知りどんでん返しでした(^-^; あえて間違えて歌っているのか、それとも関東方面では「げっきょく駐車場」と読むものなのか。それともナチュラルに、誰のチェックも入らなかったのかww 今となってはミステリーですが💦


自分たちだけで決めるのもいいけれど、紛らわしい名前のときは周りの人の意見も聞いて、決めていけたらいいですね。

本人たちは普通に読んでほしいのに、名乗るたびに、

「え? なんて読むんですか?」

となる名前とかも考えものです。


⑨ 思わぬ別の意味がないか


外国語なら特に、一度は調べます。

別の場所では全然違う意味だった。 意図していないエロい響きがあったり、

既にゲームのキャラクターで使用されていたり、

もう商品名だった。

なにかの隠語だった。

……なんてこともあります(笑)。


⑩ 既存の有名バンド・商品・団体と被りすぎないか


検索した時、同名の何かで埋め尽くされる名前は不利です。

これから活動するなら、自分たちへ辿り着けることも大切。


⑪ 地名・神名・外国語などを借りるなら、自分たちとの線があるか


その土地に縁がある。

その文化を学んできた。

音楽的影響を受けている。

二人の共通の思い出がある。

理由は何でもいい。


ただ、

「格好いいから外から借りてきた」だけになっていないか。


⑫ 由来を短く説明できるか


「どうしてこの名前なんですか?」

と聞かれて30分の思想説明が必要になるより(笑)、30秒くらいで話せる。


そして聞いた人が、

「ああ、それで!」

となる。

MCとしても、そういう名前は紹介しやすいです。


⑬ 今の自分たちが名乗って似合うか


少女性があってもいい。

ロマンチックでもいい。

でも、少女趣味とは少し違う。

今の自分たちが、その名前を名乗って自然か。

5年後、10年後にも名乗れるか。


⑭ フライヤー、SNS、検索、MCでちゃんと働くか


文字にした時に見栄えがする。

検索できる。

ハッシュタグにできる。

司会者が読める。

お客さんが友達へ伝えられる。

名前は芸術作品であると同時に、こういうところで毎回働く実用品でもあります。


⑮ そして何より、「どんな音楽をやる二人」に見えるか


私は結局、ここが一番大事です。

名前だけが素敵でも仕方がない。

高尚でなくてもいい。

ふざけていてもいい。

人名を二つ並べただけでもいい。


実際にステージへ出てきた二人を見た時、

「なるほど。この名前の二人が、この音を出すのね」

と、どこかで繋がればいい。


名は体を表すと言います。

だったら私は、

名を考える前に、まず「体」を見たい。


そして、決めたら次へ進む


最後に。

これは名前だけではなく、共同で何かを作る時に、私がかなり大切だと思っていることです。


「決める」ということ。


アイデアを出すことは大切。

途中でより良い案が出ることもある。

変更する柔軟性も必要です。

でも、


決める ⇒新しい案が浮かぶ ⇒全部白紙に戻す ⇒また決める

⇒翌日また思いつく

⇒再び白紙に戻す


これを繰り返していたら、共同作業は前へ進みません。


名前が決まったら、次は音。

曲が決まったら、次はキー。

キーが決まったら、アレンジ。

練習日を決めたら、その日に向けて準備する。


決めることは、まだまだたくさんあります。

だから私は、共同制作では、


相談中 → 決定 → 次へ進む。


と考えています。


決定したあとに新しいアイデアを思いついたなら、それは悪いことではありません。

メモしておけばいい。


「次回候補」へ入れておけばいい。


原則として、決定済みのものを、新しい思いつきが生まれるたびに「相談中」へ戻さない。

どうしても変更する必要が生じた時だけ、みんなで再検討する。


これは融通が利かないということではありません。

むしろ、

創造する時間を守るためのルール

です。


発想する力と同じくらい、


発想をいったん終える力

も、共同制作には必要だと思っています。


料理なら、火を止める。


メイクなら、鏡から離れる。


音楽なら、最後の一音を置く。


そして名前なら、

決めたら、その名前を育て始める。


最初から名前だけを立派にしなくてもいい。

何年も活動しているうちに、最初は何でもなかった言葉へ、その人たちの時間が染み込んでいく。


名前が人を立派に見せるのではなく、

人が名前を育てていく。


二人でつける名前なら、

「私はこうなりたい」

だけではなく、


「あなたと私が一緒にいると、何になるんだろう」

を、一度ちゃんと見てみる。


案外その答えは、宇宙の果てまで探しに行かなくても、二人の足元に転がっているのかもしれません。


そして決まったら――

そろそろ名前の話は終わり。

音を出していきましょう。

 
 
 

最新記事

すべて表示
地域のイベントでの選曲基準

なんで、その曲選んだんですか?って分からないものだと思う。 いつも360度丸く収まればいい中にも基準があって。 そのグッドバランスを見つけるのに2カ月ほどかかります。 その年の10月初旬までのドラマや映画の主題歌でお店のBGMなどで流れていたもの、紅白の候補になりそうな中か...

 
 
 

コメント


bottom of page