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私は、人と何かが生まれる場を作りたい。

更新日:7月14日

私は昔から、不思議に思うことがあります。


まだまだピアノやソルフェージュ、声楽を習いたての幼少期から、

50手前になっても。

「もっと前へ出ればいいのに。」

「それだけ出来るのだから、戦わないともったいない。」

「リングに上がれ。」

ありがたいことに、そんな言葉を掛けてもらうことがあります。

でも、そのたびに思うのです。

そのリング、誰が作ったんだろう。


周りの大人と、あんまり本音で喋っていなかったんじゃないだろうかと振り返る子供時代。 1人の時間に楽しんでいたのは本を読むことやテレビを観て外の世界を知ることでした。

大映ドラマにドリフ、生放送の歌番組。アニメや映画の金曜ロードショー。 教育熱心な母に、増えていく習い事。宿題もやって、、、 その合間にいろいろ夢中で観ることが許されたのがテレビ番組。私は、 『裸の大将』というテレビシリーズが大好きでした。

これは、だいぶん後期の放送。1996年やと私が高校3年生。このころの裸の大将を見るたびに、うちの父と顔つきや体つきが似ているなぁと思う。

1番好きだった場面は、毎回ほとんど同じなんです。

最期に正体がバレそうになって逃げていくシーン。

たまに逃げるのに失敗したときもありました。

放浪の旅を終えた山下清さんが施設へ連れ戻され、

「画伯」として個展を開くため、

似合わないベレー帽をかぶせられ、

チェックのスーツを着せられ、

先生らしく振る舞わされる。

周りの大人は満足そうです。

でも本人は、ちっとも嬉しそうじゃない。

だから、隙を見てまた逃げる。

その瞬間、私はテレビの前で本気で叫んでいました。

「今や! 行け! 逃げてー!」

子どもの私は、

山下清さんが「画伯」だから好きだったのではありません。

自由になった瞬間が好きだったわけです。


別の番組や特集で「本当の山下画伯とドラマとでは脚色されていて違う」というのも知っていましたが、それでも、全体に流れる義理と人情というか日本人らしさ?そして、芦谷雁之助さんが好きだったのかも。



布施明さんが、嘘くさい会社の社長を好演していました。すべての人が、というわけではないけれど、歌が上手い人はお芝居もムリなくやれるものかもしれません。布施さんが悪役を演じるときのいやらしさったらホント、お見事。普段からかなり良い精神状態で歌っておられるはずだけど、楽しんで悪い人になりきったときのギャップが怖いくらいです。この役では、今でいうところのサロン系?起業家?夢があっていいとは思うけど、人の夢を食べちゃうんだから、なんか胡散臭いなぁ。しかしただの「山下さん」にはそういうのは通用しないのです。

あの頃は、どうして「逃げる」場面が好きだったのか分かりませんでした。

でもその頃の私なりに考えると、

やりたくもない習い事を次々と課せられ、

なりたくもない将来を、周りから期待される。

そんな毎日が、子どもながらに少し……いや、かなり息苦しかったのだと思います。

だから私は、テレビの前で真剣に、

「お願い!今度こそ逃げ切ってー!」と心から願っていました。

あれは山下清さんを応援していたようで、

本当は、どこかで自分自身にも向かって言っていた言葉だったのかもしれません。

私はずっと、

「裸の大将が、裸の大将らしく生きること」

を応援していたのです。

そして今なら分かります。

あの頃から私が本当に応援していたのは、

「その人が、その人らしく生きること」

だったのだと。


裸の大将、塚地バージョンを探したけど見つからなくて。その代わり、塚地さんが自閉症の息子役を演じた映画の予告編を。タカギは20歳の頃、ボランティアでたまに遊びに行っていた今風に言うと就労支援B型の施設で実際に作業指導員として働いていた過去があるので、塚地さんの丁寧でリアルなお芝居には脱帽です。

私は子どもの頃から、大人の世界を少し早く見てしまいました。

自分が出来ないこと、やれなかったことを私に叶えさせようとする母の期待。 詰め込めば詰め込むほど処理するからと習い事で埋め尽くされた毎日。

そして行く先々で待ち構える、「こうあるべき」というレール。

子どもなりに親の期待を背負ってやろうとしてみるも、

本人が心から望んだことであったかどうかは分からない。

1つ1つのやり取りに子どもが巻き込まれる大人同士の思惑や、

お金や評価が複雑に絡み合う世界がありました。

だから思春期になると、1度すべてから降りました。


普通に遊びたかった。普通に恋愛して、結婚して、子育てをして。

目の前の小さな幸せを大切に生きたいと願っていました。

今でも、その気持ちは変わりません。

もちろん、音楽は好きですが、

音楽を好きなままでいさせてほしい。キライだ―!なんてとこまでやらせないでと、どこかで踏みとどまってしまう。


こういった気持ちになりがちな子どもって、

子役タレントとか、スポーツ選手になりたい子、

医者か弁護士にでもなって欲しそうな親の元に生まれるとよくある話なんでしょう。

なにも疑うことなく、当たり前にそういうもんっしょ?って、親や周りの希望と本人の夢がうまいこと合致していたらいいんだけど、間違ったら私みたいになるんです。全部やめる。意地でもやらんw


親が不仲で仮面夫婦。ちょっとしたことで険悪なムードになりやすかったため、子どもの頃から争いごとがしんどく、なるべく和を保ちたがる要素もありました。なので、

「勝ちたい」 「有名になりたい」 という気持ちは…自発的には薄い。

だから時々、 「もっと戦えばいい」 と言われても、

私の中では少し違和感が残ります。

私は最初から、そのリングにいない人なのではないかな。



私が昔から「リングに上がれ」という価値観に、

どこか違和感を覚える理由は色々ありいます。1つではない。

子どもの頃は、親や周りの思惑に反応して、「なんか、イヤ」で拒否、

あとはテキトーにやり過ごしてきたので、そこまで深く考えていたわけではなかったけれど、あえて言葉にするとダラーっとまた長文になるでしょう。


子どもの頃の「なんか、イヤ」が、

なんでイヤだったのか説明が出来るようになったのは、

娘を出産した頃からです。

元々頭痛持ちだったところへ体質がまた変わって、

偏頭痛が劇的に悪化しました。


閃輝暗点。

視界が欠ける。

手足のしびれ。

猛烈な吐き気。

そして、意識を失うほどの痛み。


仕事中でも容赦なく襲ってきます。

何度も救急へ運ばれました。

過呼吸、パニック障害と言われたことも。

でもどれも釈然としない。

当時は原因も分からず、不安ばかりでしたが、ようやくシンプルに、「強い、偏頭痛ですね」で収まりました。

海外製の高い薬も飲みました。

でも完全には止められませんでした。


たかが『偏頭痛』。でも、死に値する苦痛が待っている。 脳梗塞の前触れや、血管が詰まったときと同じ症状がやってきて。

娘がお腹を空かせても、バナナ1本皮をむいてやることすらまともに出来ないこともあった。


そんな発作を、月に何度も経験していると、

人は少しずつ、価値観が変わっていきます。


「今日という一日が普通に終わる。」

それだけで十分ありがたい。

そんな日々を過ごしていると、

ちょっと勝った、ちょっと負けた、とかはどうでもよくなって、

勝ち負けよりも、お互いに「すごいね!」と言い合えること。

がいいなと思うようになるものです。

イメージとしては、女子高に通うお嬢様たちでしょうか。 私がお会いしたなかで、育ちの良さそうな方というのは、 自己肯定感がしっかり備わっているなぁという印象なんですが、

「アナタほんとにすごいわね!」と誰かを素直に認めて、

「でも私もすごいのよウフフ」と、自分の良さもよく知っている。


分かりやすい形で、

誰かに褒められるような功をなさなくてもいい。

日々の生活を丁寧に生きている。

ただありのままの自分でいられるだけで十分。

誰かに認められることよりも、お互いを認め合えること。

あとは家族や身近な人とご飯を食べて、

季節を感じること。

手間をかけて料理をすること。

音楽を楽しむこと。

そんな何気ない時間を、私も大切に出来たらと思うようになりました。


だから今でも、

「もっとリングに上がれ。」

と言われると、

少し違う世界の話を聞いているような気持ちになります。

リングを否定しているわけではないんですが。


生まれたときからやらないとやられる環境であったり、

勝ち負けにこだわることに生きがいを感じる人もいます。


でも私は、頭痛持ちでそないに体が丈夫ではないこともあり、

自分の終わりを何度も近くに感じた身体が、

別の価値観を選んだのだと思っています。


人は最期、

どれだけ勝ったかより、

誰と笑ったか。

誰と心を通わせたか。

穏やかな一日をどれだけ重ねられたか。

そんなことを思い出すのではないでしょうか。

この世を去るときに持っていけるものを大事に、

持ってても意味なさそうなものは追いかけず。

だから私は、

今日も、自分が立ちたい場所で歌うとします。


そう考えるようになってからというもの、生きやすくなって。 私が音楽に求めるものも、少しずつ変わっていきました。


もしリングとやらの、それを本当にそれを望んでいたなら、

もっと若い頃からそのため生きたでしょう。

でも今の私が大切にしたいのは、

目の前の暮らし。 家族。 音楽。

そして、自分の心が穏やかでいられること。


たまに、名の知れ渡る実績のある方や、

業界で大きな存在感を持つ方とご一緒する機会があります。


もちろん、技術は素晴らしい。

積み重ねてきた時間も、本当に尊敬しています。

それでも、不思議と、 演奏が終わっても何も心に残らないことがあります。


音は美しい。

演奏も見事。

けれど、心が触れ合った感覚がない。


逆に、名前も実績も関係なく、

一緒に音を出しただけで、

「また会いたい。」

と思える人もいます。

私は、きっとそういう人との音合わせを大切にしたい人間なのです。


人は人生の終わりに、

どれだけ評価されたかではなく、

誰を愛したか。

誰と笑ったか。

誰と心を通わせたか。

そんなことを思い出すのではないでしょうか。


だから私は、

私が立ちたい場所を選んで立ちます。


誰かが用意した競争の土俵ではなく、

私が、私のために用意した土俵で。

そこには順位はありません。


でも、ときどき、

その土俵に一緒に上がってくれる人がいます。

その人たちと、

何度でも四股を踏みながら、

笑って音を出していきたい。


音楽も、人間関係も、私にとっては同じです。

人と何かが生まれる瞬間に、これからも立ち会っていたい。

私が最期に「ええ人生やったな」と心から笑えるように。

毎回、山下清さんは最初のほうか、最後のほうに、


ぽつりと言います。


「ぼ、ぼくは、オニギリが、食べたかっただけ、なんだな。」


子どもの頃の私は、その言葉が大好きでした。

ケッサクやな!と。


「有名になりたかったわけじゃない。」

「画伯と呼ばれたかったわけじゃない。」

「先生になりたかったわけじゃない。」

そんな言葉です。


そして今なら、私も同じことを思います。

なにかに秀でているなら、誰かと分かち合えばいい。

有名になってあれやこれやと行動に制限がかかるより、

ご一緒している人と、

もう二度とないかもしれない今を生きていたい。


私は誰かと笑って、

なにかを出し合って、

音楽であれば音を出し合って、ただ、

何かが生まれる場にいたがるだけなんです。


ほんま、それだけ、

なんだな。 「そんな人、本当にいるの?」

「そんなきれいごとを」

「美談だね。」

そう思われることもあるし、

言いたいときには言わせておきましょう。


でも、います。

少なくとも、ここに1人は。


私は、歌や音楽だけではなく、

これまで歩いてきた道のりを振り返ってみても、

誰かが昨日よりその人らしくあるように。

誰かと何かが大事なことを共有できるように。

そんな場所を見つけることに、いちばん心が動いてきました。


これは今になって思いついた理想論ではなく、

私という人間の、昔から変わらない性質なんだと思います。 ホントに、それだけなんですよ。

勘ぐってもなにも出ない。

昔から「ジャラジャラした」「お祭り好き」の、

「パーティー娘」と呼ばれてきました。

そのプライドにかけて?

(いったいどこにプライドを持っているんだ💦) やりたいように、皆さまとやっていけたらと思います。

 
 
 

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