誰かに勝たなくても、自分の仕事が成立しているということ④
第四部 隣の人を小さくするより、
自分が大きくなりなはれ
第三部では、奈良市議会をかなり雑に(笑)、
「39人兄弟の大家族」
に例えてみました。
桃栗さんとニューカマー氏。
二人の間で何があったのかは、もちろん大事です。
問題があれば調べればいい。
間違ったことをしたなら、批判されることもあるでしょう。
でも、奈良市議会には39人もいる。
そして、その39人のさらに向こう側には、市民の暮らしがあります。
だったら、いつまでも隣の人ばっかり見てんと、 もっと先を見たらええやん。
そんなところまで書きました。
そして、ここまで書いてきて、 最初の方に書いたことを思い出します。
向こうから来た人と、こちらから見に行った人
第一部で少し触れましたが、
桃栗さんとは、Facebookで長いこと繋がっています。
どちらから申請したのか、今となってはもう記憶が曖昧です。
ただ、まだ実際にお会いしたこともない私のところへ、政治家としての発信が自然と届くようになり、
私は長い間、
お子さんのことや、
日々のご飯のことや、
政治とは直接関係のない投稿も含めて見てきました。
「お父ちゃん頑張ってはるなあ」
と思って「いいね」を押すこともありました。
一方、ニューカマー氏は違います。
この人とは、何のつながりもありません。
市議会議員になる前から、
Xで動向をフォローしていたんです。
どこでどうだったのか??
ん~……確か、
「これまで使っていた名前をやめます」 というような宣言があった前後に、
「あれ? 奈良の話題を取り上げてる?」
と気になって。
そこから情報をしっかりキャッチできるように、
なんとなくしていったのを覚えています。
Facebookでも、他の市議経験者の知り合いが早い段階で対談をしたり、擁護に回っているようだったので、
「この人、政治家になって何するんやろ?」
と思った私が、自分からフォローしにいきました。
これ、どちらが上とか下とかいう話ではありません。
ただ、発信というものを考えたときに、
ちょっと面白い違いがあるんです。
「見てください」と「見に行きたい」は、少し違う
政治家に限らず、私たち表現をする人間も、
「ぜひ、見てください」「聴いてください」「ライブに来てください」「こんな活動をしています」
などと発信します。
私なんて、しょっちゅうやっていますスイマセン🙏
発信しなければ、誰にも知られないかもしれないし、それだけ準備に時間をかけてもいる。
自分も参加する集まりなのに、だ~れにも大して声を掛けず、
「自分、友達とかいないんで・・・」
なんて開き直られるよりは。
大前提、LIVEをするならば告知はするべきだし、私も大事なことを人任せにしたくない。
もちろん、プロの方がサポート仕事をあえて告知しないのは分かるんです。
それはそれで、
「これは自分自身の音楽活動とは別の仕事です」
という、業界の中での立ち位置や線引きがある。
だから、私と一緒にLIVEをしていた人たちの中にも、
「これは自バンドの活動というより、タカギさんの活動をサポートする立場で参加しているわけで、自分の知り合いに声を掛けるところまでは求められていない」
と受け取っていた人がいたのかもしれません。
私の声の掛け方が、そう思わせてしまったところもあったのかもしれない。
でも、もしそうだったとしたら、
ああ、私はそういうつもりで声を掛けたんじゃなかったんだけどなぁ……
と、なんだか少し寂しくなります。
私が欲しかったのは、
「一人○人、お客さんを連れてきてください」
というようなお声掛けの義務ではなくて、
「自分もこの場を作っている一人なんだ」
という感覚だったんだと思います。
だから、たとえ結果的に一人も来られなくてもいい。
声を掛けてくれた、その気持ちだけでも私は嬉しい。
反対に、誰にも声を掛けていないのに誰も来ないと言われても、
いや、そらまあ、誰も来ないよね……。
とは思います(笑)。
フライヤーはUPする。でも個別にお客さんへ声を掛けるのはちょっと……。その代わり、真心こめて練習します――
となると、
この人、一体何を目的に、誰に対してLIVEしてるんかなぁ。
と、私は少し不思議になります。
もちろん、そもそもの始まりは、私が声を掛けて参加してくれたミュージシャンたちです。
私が始めた活動だから、
「タカギさんのところへ行こう」
と思って来てくださったお客様もいるでしょう。
それでも、
自分もその場を作っている一人なんだったら、せめて自分の分くらいは、自信持って声掛けようよ。
というのが、私の中にはずっとあります。
ただ、
「見てください」とこちらから届けることと、 「あの人最近、何してはるんやろ?」と 向こうから見に来てもらうことは、少し違う。
これは音楽でも感じます。
ライブの告知を何度も見て来てくださる人もいる。
たまたまどこかで歌を聴いて、
「次、どこで歌うんですか?」
と聞いてくださる人もいる。
どちらもありがたい。
でも後者には、
その人の中に「関心」が生まれた
という、ちょっと特別なものがあります。
政治も、同じなのかもしれません。
支持者を奪うより、関心を生み出す
第一部で、
「なぜ8,000人がニューカマー氏に投票したのか」
という話を書きました。
その8,000人を、
「見る目のない人」
「騙されている人」
「分かっていない人」
と考えることもできる。
でも、そんな風に個人的に定義したところで、
その8,000人はすぐさま考えを変えるとは思えません。
人って、
「お前の選択は間違っている」
と言われて、
「そうですね!では今日からあなたを応援します!」
とは、なかなかならないでしょう(笑)。
だったら、
その8,000人の中の一人が、
ある日ふと、
「そういえば桃栗さん、最近何してはるんやろ?」
と自分から見に来る。
その方が、ずっと面白い。
支持者を奪わなくてもいい。
関心を生み出せばいい。
私は、どうすればその関心が自然に生まれるのかを考える方が、よっぽど建設的なのになあと、ついついそちらに考えが及びます。
名前を知られることと、「何者として」知られるか
そしてもう一つは、
SNSの時代になって、
「知名度」というものが、 以前よりずっと分かりやすく数字になりました。
フォロワー数。
表示回数。
再生回数。
「いいね」の数。
話題になった回数。
名前が全国へ広がること自体は、政治家にとって大きな力になるでしょう。
でも、
名前を知ってもらうことと、 何者として名前を覚えてもらうかは、別です。
「あの有名な人と揉めている政治家」
として名前を覚えてもらうのか。
教育について詳しい人なのか。
財政のことならこの人なのか。
地域の声を拾う人なのか。
難しい制度を、市民にも分かる言葉にしてくれる人なのか。
何年か経ったとき、
その人の名前を聞いて最初に浮かぶものが何なのか。
これは、結構大きいはずなんです。
相手の知名度を借りる方法は、たしかに速い
有名な人について発信すれば、人は見ます。
褒めても見ます。
批判しても見ます。
揉めたら、もっと見ます。
これは政治だけではありません。
音楽でも芸能でも、どんなビジネスでも同じでしょう。
「YouTuberで有名な○○さんと写真撮りました✨」 「昔○○さんと○○ちゃんと、○○で演奏したことがある」 など、ヨソからの話題性を振りまくことで、 人々の関心を集めることもあります。
炎上しそうな論調で話題の人について書けば、 普段より読まれる。
有名人の名前をタイトルに入れれば、検索にも引っかかる。
実際、この文章だって、
実名をバンバン入れて、
もっと刺激的なタイトルをつければ、
今より読まれる可能性はあるでしょう。
でも、しない。
なぜなら、 ここまで書いてきた話そのものと矛盾するから。
誰かの名前を借りなくても、 自分が書きたいことだけで文章が成立していたらええやん。
これもまた、第二部で書いた
「ヨソはヨソ、ウチはウチ」
の一環、となります。
私は、桃栗さんに消えてほしいわけではない
ここは、ちゃんと書いておきたいところなのですが、
ここまで読むと、
「結局、桃栗さんが嫌いなんやろ」
と思う人もいるかもしれません。
でも、そういうことでもないんです。
むしろ逆で。
私は長いこと発信を見てきました。
だから、
もったいないなあ
と思っている。
ニューカマー氏について書かなければ注目されない人では、もともとなかったはずです。
長く政治をやってきた。
選挙で負けたこともある。
別の仕事をした時期もある。
それでも、また市政へ戻ってきた。
そこまでやってきた人なら、
ニューカマー氏を見なくても、
自分の政治が成立するところへ戻ったらええのに。
と思えてなりません。
もっと大きなところへ行ったって、ええやん
これは完全に私の勝手な話ですが。
私は以前、
「桃栗さんみたいな人が、いつかもっと大きな政治の舞台を目指したってええんちゃうの」
と想像したことがあります。
ご本人からそんな話を聞いたわけではありません(笑)。
私が勝手に思っただけです。
でも仮に、
市議会よりもっと大きな範囲の政治を担うようになったとする。
そのとき、
自分に投票した人だけが市民・県民・国民ではありません。
自分の対立候補に投票した人も。
自分を批判した人も。
自分のことが嫌いな人も。
全部ひっくるめて、
自分が向き合う人になる。
だったら、
自分と違う人を支持する人たちまで小さく扱わずにいられることは、
政治家として、かなり大事な力なんじゃないでしょうか。
ニューカマー氏にも、同じこと
そしてこれは、桃栗さんだけの話ではなくて。
ニューカマー氏にも、
敵を作りすぎん方がええんちゃうかな
と思います。
「自分を潰そうとしている」
「既得権益が邪魔をしている」
「古い政治家が敵だ」
そういう物語は、分かりやすい。
味方も集まりやすい。
起業家の世界などを少し覗いたことがありますが、
「有名な○○さんとつながっている」
「大物が支援してくれている」
「自分を潰そうとする強い勢力がある」
「古い体制を自分が変える」
という物語を、看板のように掲げる人を見かけることがあります。
音楽の世界でも、まったく別の業種でも、
人の関心が数字になり、 その数字が信用や仕事やお金に変わっていく場所では、
似た構造を目にすることがあります。
自分そのものを大きくすることと、 大きな人物や大きな敵を物語の中に置いて、 自分を大きく見せることは別なんやろうなあ。
と、私は常日頃分けて考えています。 それはそうとして、個人的には第二部で書いた話と同じで、
敵を見続けている間、
自分の時間の一部を、その敵に渡し続けることになる。
そして、
「敵と戦う人」
として知られる時間が長くなる。
ニューカマー氏にも、
ニューカマー氏にしか持っていないものがある。
だったら、
それを育てた方がええやん。
と願います。
「大きくなる」って、何なんやろう
ここでいう「大きくなる」は、
シンプルに、有名になることではないんだという前提があります。
フォロワーを増やすことでもない。
選挙で相手よりたくさん票を取ることでもない。
私が思う「大きい人」は、
隣の人が大きくなっても、 自分が小さくなったとは思わない人
です。
隣の歌手が褒められても、
「あの人、ええ声してるもんなあ」
と言える。
新人が注目されても、
「すごい発信力やな」
と言える。
ベテランが知識を見せても、
「そこは教えてください」
と言える。
相手の良さを認めたところで、
自分から何かが減るわけではない。
むしろ、
自分にはないものを持っている人が隣にいる。
それって本来、かなり面白いことだし、
なんだったら研究対象にしたらいいのになと。
『何をしないか』について
そして結局、私はここに戻ってくるのですが、
第一部で書いた、
何をするかと同じくらい、何をしないか。
何を言うか。
何を言わないか。
どこまで追うか。
どこでやめるか。
相手の悪いところを批判しても、
良いところまで消さずにいられるか。
自分が正しいと思ったときほど、
相手をどこまで小さく扱わずにいられるか。
音楽でいうなら、
鳴らす音だけではなく、
どこに“間”を置けるか。
そこに、その人の品や美学が出る。
私はそこに目が釘付けになるタイプです。
用事が済んだら、風を通したい
私だって、腹が立つことの1つや2つあります。
理不尽よねって、行き場のない感情を持て余したり、 悪口だって言います(笑)。
家に帰って、
「あの人、ホンマなあ~~~!」
と家族にボヤくこともある。
あまりにも言ってることとやってることのスジが通っていない場合は、
イヤイヤちゃうちゃう💦 と必要なところまでは動きます。
線を引かなければならない相手には、線を引く。
必要なら、
「それは違います」
とも言う。
でも、
用事が済んだら、風を通したい。
ずっとその人を見続けない。
ずっと怒り続けるほど根気が持たない。
お腹が空くほうが早い。
ずっと勝負の土俵に引きずり込まれない。
だって、その間にも次に歌いたい曲がある。
会いたい人が待っている。
面白そうなことがあるのに時間だけが無い💦 家族との時間は最優先で取りたい。
覚えたい古典落語もある(笑)。
ボーっと、していたいという選択すら、
自由にならないことがある。
スマホに管理され、せわしない毎日です。
その勝負、ほんまにせなあかんの?
今回、奈良市議会の二人を見ながら、
ずいぶん遠くまで考えが飛びました。
政治の話から、
歌の周りの現実へ。
オセロというか、 それぞれが勤しんでいるゲーム自体が違うこと。
お母ちゃんや大事な人が苦労して”こしらえてくれた”もの、
そもそも39人の向こうには、その人たちに票を託した奈良市民がいる。
最後は古典落語まで出てきました(笑)。
でも、私の中では全部、
一つのところに収束していきます。
自分の視線を、どこへ置くのか。
誰を見て話しているのか。
何を見て、どう感じるのか。
その全部を言葉にするのか。
分かっていて、あえて何もしないのか。
そして、
いつ、そこから離れるのか。
誰かを見て、
「あの人には負けたくない」
と思うことで頑張れることもあるでしょう。
それが力になるなら、それも一つ。
でも、いつまでもそこにいる必要はない。
相手が大きくなったからといって、自分が小さくなったわけではない。
相手を小さくしたからといって、自分が大きくなったわけでもない。
だったら。
隣の人を小さくすることに時間を使うより、自分が大きくなりなはれ。
桃栗さんも。
ニューカマー氏も。
ほかの37人も。
そして、これを書いている私自身も。
世の中、いろんなことがあります。
毎日いろんなニュースが届くし、 腹の立つことも、心配になることもある。
全部を追いかけていたら、一生なんてあっちゅうまです。
だからまず、
自分の身近なところから、自分に出来ることを一つずつ。
私も、自分の袋に入っていたものを抱えて、 また自分の用事に戻ろうと思います。
誰かに勝たなくても、自分の仕事が成立している。
そして出来ることなら、 自分の心の平和も保ちながら、 人と一緒に何かを作っていける。
私は、そんな状態が一番ええなあと思っています。
用事が済んだら、風を通す。
ほな、私も次の用事へ✨ やっと動こうかな。。。



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