圧倒しない強さ — Remembering Dolly Parton
Dolly Partonが亡くなった。
訃報を知ってから、いろんな人の追悼文を読んでいます。
アメリカ人の知り合いで、ゴリゴリのロックバンドをやっている人まで彼女を振り返っていました。
「俺たちは別にカントリーが好きなわけじゃない。
でも、彼女のように自分から人を助け、
たくさんの人の人生を変えたアーティストには敬意を払う」
そして最後に、
“We don't care what music you're into. Damn she could sing.”
どんな音楽が好きだろうが関係ない。あの人は、本当に歌えた。
うん。私もそう思います。
私はアメリカの人ではないし、カントリーは留学中によく流れていたなぁくらいの認識はあってもよく知らない。でも、Dolly Partonという人をとてもリスペクトしています。
まだまだ若い頃、初めてDollyの「I Will Always Love You」を聴いた時には、正直、
「いや、ホイットニーのほうが凄いやん」
と思いました。
Whitney Houstonの「I Will Always Love You」は、あまりにも圧倒的だった。
声量、音域、技巧、ダイナミクス。
静寂から始まって、最後には巨大な感情が立ち上がる。
今思えば、あれはもう、大聖堂みたいな歌だったのかもしれない。
対して、あの曲を書いたDolly本人の歌は、もっと小さなところに舞台があって。
大聖堂ではなく、人里離れたコテージの1室みたいな。ちょっと離れた別荘?旅先の宿みたいなところから振り返っているイメージです。
すぐそこにいる女性が、昔のことを思い出しながら、
「私は行くけれど、あなたの幸せを願っている。
これからもずっと愛しているからね」
と、誰かを想っているようなもの。
そんな、個人的な記憶を聞かせてもらっているような歌だった。
でも多感な頃の私は、そんな「土俵の違い」なんて考えもしませんでした。
映画『ボディーガード』のハリウッドな世界観。ショービズの最高峰。誰でも分かりやすい、技術や声量などの可視化しやすい強さ。
『ホイットニー、すっげーーー!!』
でした(笑)。
ほぼ信者です。
そして実際、凄かったんです。 そして私は、その後も次々に現れる「歌姫」たちを、誰が上手い、誰が凄い、誰が次のナンバー1なのかというショービジネスの物差しで眺めていました。 Whitney自身もまた、常に誰かと比較され続けた人だったと思います。その後の彼女の人生まで、ここで単純にその物差しだけで語るつもりはありません。 少なくとも、当時の私自身が、競争主義の眼鏡をかけて歌を聴いていたことは確かです。
あれほどの楽器を持った人が、あれほどの技術で歌ったのだから、圧倒されて当然だったと思います。
ただ、歳を重ねて、自分自身も歌いながら、長いこと”いろんな歌う人”を見てきて、今になってDollyを聴くと、年々違うものが見えるようになりました。
歌の世界というのは、奇妙な力関係が働きます。私は個人的に、そのことについてずっと昔から科学しているのですが、それは妹が小学生に入ってすぐ、東大阪市の市立合唱団に学校からスカウトされたことから始まります。 妹はソプラノの中でも地声領域が高く、小学校で音楽の先生に習いながら、合唱の練習をしているときに先生の目に留まったそうです。
「ちょっと待って。今、1番高いところをウラ声に返さず歌っていたのは誰?」 妹は自分のことだと分かりながらも突然なことで驚いて。
なんでそんなことを言われるのか分からん、けど、
もう一度みんなで歌ってみて、
「アンタやな!」 「あとで職員室に来ぃや」 と言われて。そのまま市の合唱団の練習を見学に行き、1~2週間に1度、中学を卒業するまで参加していました。 市の合唱団なわけで、他校からも集まります。
その中で、誰がソプラノをやるか、ソプラノの中でも1番前で、ソロパートがありながら誰が引っ張っていくか。指揮をしている先生の裁量で妹や特定の生徒が毎回、そのセンターに選ばれるのですが、 嫉妬に狂った隣町の学校の4人組から、悪口や陰口、冷たい態度など相当なイジメもあったようです。うちの母が、先生に、なんとかなりませんかと何度か相談していました。 中学になると段々やり方が過激になり、あるとき、イスの上に妹宛ての手紙が置いてあり封筒を開けてみるとカミソリが入っていたこともありました。 これはさすがに先生も、みんなに対してすぐ檄が飛ぶ。
「こんな卑怯なやり方で人を貶めようとする時間があるなら、人一倍練習して、一生懸命、結果を出して実力で勝ち取らんか!バカ者!!」と一喝したらしいです。
もちろん先生は、妹を守ろうとしてそう言ってくださったのだと思います。ただ、今になって思えば、「実力で勝ち取れ」という言葉もまた、歌う場所をひとつの競技として捉えた言葉ではあります。
歌うって、いつからそんなに「勝ち取る」ものになったんだろう。
私自身も、その後ずいぶん長いこと、その問いの周りをウロウロすることになってしまいました。
私自身も、実は成人する前後に演劇やミュージカルに憧れ、歌をオーディションされることが何度かありましたが、審査員の先生の目の付け所はさまざまで、時折り指摘されることの方向性が全く掴めず、苦しんだ記憶があります。 結婚後に、一時期ゴスペルに興味を持って、その世界に少しだけ身を置いたことがあります。そこでも、なんとも人間くさいものも見ました。
誰がソリストになるのか。
オーディションのようになったり、オーディションとは無関係にその団体の発起人がやることが暗黙の了解になっているところもあったし、歌のこととは無関係に平等に、仲良しこよしでソリストをやっているところもあるし、まるで○KB48のセンター争いみたいに悲喜こもごもが毎回あるところも。
選ばれなかった人から陰で陰湿なことをされたこともありました。
いつもは選ばれていた人から堂々と「さっきの音圧、あそこは張り上げるやろ。なんやねん、あり得へん!!」とか、
何をしてもしなくても、文句だけが飛んでくることもありました。
私のことが嫌いなら、嫌いでいいんです。 私が入ってくることで何か面白くないことがあるなら、それもまあ、人間だからあるでしょう。
でも、それを「音圧がどう」「歌い方がどう」という話に変換してチクチクやられるのは、煩わしい。 知らんがな、めんどくさい(笑)。
こりゃラチあかんな……。
そう思って、そこから去ることになったり。
あまりの競争主義に、歌についてケチョンケチョンに言われて、泣きながら歌っている仲間も何人か見ました。
もちろん、それがゴスペルという音楽そのものではありません。
素晴らしい歌い手もたくさんいるし、黒人教会から生まれたゴスペルの、腹の底から突き上げてくるような声、シャウト、コール&レスポンス、クワイア全体が大きな生き物になるような力。
私は今でも大好きです。
でも、その中に少し身を置きながら、
私は、こんなふうには歌えないものなあ。どうしましょ...。
とちょっと引いてしまって。
ある種の団体競技みたいになってしまうところに、
いまいちのめりこめなくなる自分がいました。
誰かより太い声を出す。
誰かより高い音が裏声に返さないで出る。
誰かよりすごいフェイクを展開する。
誰かを圧倒して、ソリストになる。
そんなふうに、歌い手がだんだんウォリアーみたいになっていくことに、私はどうも馴染めなかった。
そもそも賛美って、誰かを打ち負かすためのものだったっけ。
ずっと、どこかにそんな引っかかりがありました。
それで思い出すのが、映画『Joyful Noise』のDolly Partonです。
黒人女性たちのゴスペル・クワイアの中に、あのDollyがいる。
周囲には、いかにもゴスペルらしい、太くて強い声がある。
ところがDollyは、そこへ入ってもDollyのまま。 素直な声が伸びやかに出ていて、気負いがない。
張り合わない。
「私だってこんなに声が出るのよ」とやらない。
黒人ゴスペル風の歌い方に自分を変えて、そこへ同化しようともしない。
少し後ろに腰掛けるような独特のタイム。
あの明るくて軽い、カントリーの匂いがする声。
自分の時間の流れ方を変えない。
周囲が100なら、自分も101を出して勝とうとするんじゃない。
かといって、
「私は控えめに47くらいにしておきます」
でもない。
Dollyは、隣の人が100なのを見て、自分のダイヤルを回していない。
私は私のやり方で、神様に向かいます。
そう言っているように、私には見えました。 自分のダイヤルを歪めないこと。 それは決して「諦め」や「控えめな姿勢」ではなく、 「私は私にしかなれないし、私でいることが最も誠実である」という揺るぎない確信で以って、神さまのほうを向いている。 競争というゲームの土俵そのものから静かに降りてみせることこそ、表現者における究極のタフネスなのかもしれません。
その立ち位置がステキというか、パワーで押してくるその他の人ももちろん凄かったけど、今でもDollyの明るい笑顔や名演も、同じくらい心に残っています。
考えてみれば、Dolly Partonという人の生き方そのものにも、どこか同じものを感じます。
貧しい家庭に生まれて、大スターになって、とてつもない成功を手にした人。
それでも、貧しかった子どもの頃を忘れず、子どもの教育や識字を支える活動を長く続けた。
莫大なお金を手にしたから、それを使って「私はこれだけの人間になった」と見せつけるのではなく、自分が生まれたところ、自分が知っている困難へ、ずっと何かを返していた。
先ほどのロッカーの友人が書いていた言葉が、そこに重なります。
She just did, because it's who she was.
ただ、そうした。
そういう人だったから。
これは、歌と同じなんじゃないか。
もっと上手く。
もっと強く。
もっと評価されるように。
もっとたくさんの人に認められるように。
誰かより前へ。
誰かより上へ。
ナンバー1へ。
そんなふうに自分は考えてはいなくても、周りからは競争主義的な世界観で追い立てられることも多々あります。
音楽の世界でも、自分以外の誰かが勝手に「あなたより歌える人は沢山いる」と審査員のように評価して、「あれが出来ていないからダメ」「これも出来ていないから全然ダメ」と、日本人にありがちな欠点を並べてこられることはしょっちゅうあります。 その方が自分の夢や個性をありのままに伸ばしていく機会がなかったからか、あるいは諦めてしまったからか。あなたも諦めちゃいなよと💦萎えさせる考え方の人から感想をもらうこともまあまああります。慣れましたが。
声量。音域。技巧。集客。再生数。フォロワー数。
数えられるもの、比べられるものには、順位がつけやすい。そして順位がつけられるものは、競争にしやすい。
気がつけば音楽まで、資本主義という巨大なゲームの中で、誰かが作った物差しによって価値を測られる。
でもDollyは、そんなことの外側にいるように見える。
だからといって、競争社会から逃げて小さくまとまって生きていたわけではない。
若手とも他のジャンルの人とも積極的に活動し、世界をより良いものにしようとした、大スターです。
ものすごく成功した。
ものすごく稼いだ。
ものすごく有名になった。それなのに、
「だから私はあなたより偉い」
というところへ行かなかった。
歌でもそう。
周りがウォリアーになっていても、自分まで剣を持つ必要はない。
この「ウォリアー化」は、ゴスペルに限らず、 ポップスでも、ロックでも、クラシックでも、ミュージカルでも、 どのジャンルにもある“競技化”の影。
その中に身を置いて、 傷ついたことも、泣いたこと...はあんまりないけれどww
いろいろありながら、それでも歌い続けてみるけれど(^-^;
だからこそ、Dollyの姿勢が胸に刺さる。
大きな声で歌う人は、大きな声で歌えばいい。
Whitneyが120で歌う必要があるなら、120でいい。
黒人ゴスペルのクワイアが身体全部を使って150で神を讃えるなら、それも素晴らしい。
でも、
あなたが150だからといって、私も151になる必要はない。
私は私の声で歌う。
私には、私のタイム感があるのよ。
私は私なりのやり方で、神様に向き合う。
若い頃の私は、Whitneyが建てた巨大な大聖堂ばかり見上げていました。今も、あの大聖堂は素晴らしいと思う。
でも歳を重ねていくと、その少し離れた丘の向こうに、Dollyのコテージがあることにも気づきました。窓には温かい明かりが灯っている。
そこでは誰かが、世界中をひれ伏させるためではなく、たった一人の誰かに、
“I will always love you.”
と話している。
大聖堂には大聖堂の美しさがある。
コテージにはコテージの美しさがある。
どちらも、人の心を動かす。
私はたぶんDolly Partonからずっと、
「圧倒しなくても、そこにいていい」
という歌い手のあり方を見せてもらっていたのだと思います。
若い頃には分からなかった。
今になって、ようやく少し分かるようになりました。
Dollyなら天国から微笑みながら、
“Sing your way, honey.”
なんて言ってくれるかもしれないな、
と勝手に想像しています。
Thank you, Dolly.
どうぞ安らかに。



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