声という楽器―研究ノート Vol.1『Fuel』③
更新日:8月4日
③ Metallica『Fuel』──女性ボーカルの身体へ移植する
前回までで、下処理の概要について、大抵まとめました。
James Hetfieldが『Fuel』の中で何をしているのか。
声を聴き、身体を見て、何がこの曲の推進力を生んでいるのかを、私なりに分解して。
ここからはひとつ、大前提があります。
私は、James Hetfieldの身体は持っていない。
性別も違えば、骨格も違う。
声帯の長さや厚みも、声道も、共鳴の仕方も違う。
持って生まれた声の重量も違う。
ましてや、Jamesが長い年月をかけて作ってきた身体の使い方や、
Metallicaというバンドの中で培ってきた経験まで、
同じものを持っているはずがない。
ここから先で私が考えるのは、
「どうすればJamesと同じ音が出るか」ではなく、
「Jamesがこの曲で担っている仕事を、
私の身体なら何を使って引き受けられるか」、となります。
低音の重量が足りないなら、何で補うか。
声帯そのものの厚みが違うなら、どこに圧力ポイントを設けるか。
前へ前へと進む推進力を、女性の身体でどう再現するか。
破裂するような子音を、喉を傷めずにどう扱うのか。
そして、どこまでJamesを残し、どこからタカギカオリとするか。
ここからは、コピーというより移植手術。
トライしてみた後で、拒絶反応を起こさないように。
Metallicaの『Fuel』というコアの”臓器"を、
私という別の身体で、ちゃんと動かそうとする作業です。
1.持って生まれた声の「重量」の違い
『Fuel』を女性ボーカルとして歌おうとしたとき、最初にぶつかるのが「重量」。
James Hetfieldの声には、低いところにかなりの質量がきます。
ただ音程が低い、という話ではなく、
聞いた感じもっと重たい声の人も沢山いるけど、
重さも圧が、なんやったら交互にバンバン効いています。
同じ音を女性が出したとしても、同じ重量にはならない。
ただ低く歌っても近づかない。 それどころか音色が暗くなって、あか抜けない。
ただ太く歌ってもスローモーになりすぎることも。
もっと強く出せばいいのかな?その方法は?
色々やろうとして段々苦しくなる。
そのすべての原因は、私はJamesではないから、なわけで。
無い無い尽くしからのスタート。
私の場合は、足りない重量そのものを無理に作ろうとするのではなく、
圧力、スピード、倍音、アタック。
この辺りを使って、聞こえの面で、
結果として同等の「強さ」を作れる場所を探していきました。
幸いなことにJamesの低音域がデスメタルのデスボイス、
麒麟の川島さんみたいな重低音ではないので置き換えが可能か?
と判断。重量のコピーではなく、機能の置き換えです。
重くするより、前へ飛ばす
これは車に例えると分かりやすいかも。
大型車と小型車では、そもそもの車重が違います。
小型車に重りを積みまくって、
「ほら、大型車と同じ重さになりました」
とやっても、走りにくくなるだけです。
だったら私は、軽い車体であることを利用して、
アクセルへの反応を速くする。
加速を鋭く、コーナーへの入り方を変える。
必要なところで一瞬ブレーキを挟みながら、また加速。
Jamesの「重さ」に対して、
私は「速さ」や「切れ味」で乗り越えようと考えました。
ただし、「女がヒステリックに周りに当たり散らしている」ような、
聞き手にストレスフルなものにならないよう、
加減が必要でもありました。
叫べばいいのではない、声を大きくすることとも違う
もうひとつ男性ボーカルものを女性が歌うときに取り違えそうになるのが、
重量=声量ではないないので、
大声で叫んでいれば、ROCK出来るわけではないし、
ましてやMetallicaのサウンドに近づけるわけでもない。
女性の立場で、のべつ幕無しにアレやコレやまくしたてると、
うっかり「家でオカンか嫁がガミガミ怒ってくる」
みたいなサウンドになってしまう。
↑
これはやりすぎるとクールではない。
むしろ『Fuel』の場合、ずっと全開で歌ってしまうと、
アクセルを踏みっぱなしの車みたいになってしまう。
疾走感はあるけど、全体としておもんない。
この曲には、
アクセルを踏む→たまに抜いて止める→また踏む~踏み込む~・・・
という動きが細かくあります。
自分の場合は音量を上げ続けるよりも、
圧がかかる瞬間を設けることのほうにいきました。
子音で一瞬引っかけて「バリッ」という音を出す。
息を流し続けず、一度せき止めてからパッ!と放つ。
母音へ入った瞬間に前へ飛ばす。
そして必要のないところでは、ちゃんと抜く。
この小さな加速と減速の連続が、『Fuel』の推進力を作っている、 しかも、そんなにギコギコとかガチャガチャしないで、
ダイナミックに、さりげなさすら感じるくらいに。
低音は、無理にJamesへ寄せない
特に低い音。
ここは、かなり早い段階で一緒のようにしないと決めました。
というより違う形が良い、と判断しました。**
Jamesの低音を女性の私が同じ質感にしようとすると、
必要以上に喉頭を下げたり、声を暗くしたり、
胸声を重くしようとしたりしてしまう。
そうすると、一瞬は「それっぽい」。
でも女性がオッサンみたいに怒鳴ってるみたい。
大阪のおばちゃんがキレてる風になりすぎました。
『Fuel』で必要なのは、一発の低音コンテストではないし、
次の言葉はすぐそこで待っているのに動作が重い。
その次も来る。
しばらく待ってまた加速する。
私にとって重要なのは、
Jamesと同じ重量を一音だけ作ることではなく、
曲の最後まで走れる車体を作ること。
これを心掛けました。だって、
何回も歌う機会がありそうなので、再現性重視なのです。
私の身体なら、何が使える?
そこで逆に、自分の持ち物を確認していくと、
Jamesほどの低音の質量はない。
でも、瞬発的に声を前へ飛ばすことは出来る。
音色を短い時間で変えることも出来る。
子音をかなり強く使える。
高いところへ行けば、女性の声だからこそ出る金属的な倍音もある。
そして、JazzやFunkを歌ってきたことで身についた、
拍の前後を少し行き来する感覚もある。
だったら、それを使っちゃいましょう。
ここでようやく、
「Jamesにないものを出さないでおこう」
という発想から離れられます。
Jamesから受け取るのは、音色そのものではなく、
この曲を走らせるための仕事。
その仕事を私の身体へ割り振りし直していく。
同じ車を作る必要はないもなくなりました。
同じコースを、
私の車で走れるようにすればいい。
ここでやっと、『Fuel』の移植、その第一段階です。
2.圧力は、どこに置くのか
重量そのものをJames Hetfieldと同じにしない。
では、その代わりになる「圧」はどこから作るのか。
『Fuel』を歌いながら私が探していったのは、
単純な大声でも、大量の息が必要でもありませんでそした。
息をたくさん吐こうとすると、私の場合は声が散ってしまう
勢いは出るが、芯がなくなる。
ガソリンを大量に撒いているだけで、
うまく燃焼させるところへ送り込めていない残念感。
量ではなく、圧力で何とかならないか。
工夫してみると、圧がうまくかかったときに身体で感じる場所が、
胸骨の前面あたり。
胸の奥から大きく響かせる、というより、
身体の中心に一本、硬い芯が出来るような感覚。
そこに声が集まると、必要以上に大きな声を出さなくても、音が前へ飛びやすくなります。
本当に胸骨そのものが音を作っているという意味ではありません。
あくまで、私自身が歌っているときの身体感覚としての「場所」です。
息を増やすのではなく、逃がさない。
ここは『Fuel』を練習していて、かなり面白かったところです。
ロックだから、
もっと息づかいを、
もっと声を集めて、
もっとパワフルに!
と足していきたくなる。
でも、録音やPAを通してモニターしてみると、
足せば足すほどJamesから遠ざかる瞬間ばかりで拍子抜け。
こんなやりがいのない所に力を使うよりほかにやることがある。
Jamesの声は荒々しく聞こえるのに、実際に聴いてみると、
ただ息を撒き散らしているわけではなく、
かなり声の中心が残っています。
だから私も、
息をたくさん出すことより、必要な瞬間まで逃がさないこと
を意識するようになりました。
一度、圧をためる。
必要な瞬間に放つ。
また止める。
これは、前章で書いたアクセルとブレーキにもつながります。
声帯を「厚くすればいい」わけでもない
圧力のかけ方で、もうひとつ。
Jamesの声を聴いていると、どうしてもあの厚みが欲しくなります。
だったら私も、声帯を厚く使えばいい。
……と単純に考えると、これも危ない。
原曲より少しだけ高いキーに移調して歌うことになったのですが、
キーが上がるとやはり、厚みの出方が軽くなります。
私の場合、低いところで必要以上に重くしようとすると、その次への動きがもたつきます。
一音だけならボーンと出ても、
次の『燃料(Fuel)』は待ってくれない。
次の言葉はすぐそこで通過するのを待ってるし、
次のアクセントが来る、次のコーナーも待ってる。
だから、
厚みは必要だけれど、動ける厚みにしておく。
自分の声のキャパを超えるような歌唱は絶対にしない。
どんな場合でも。←この自制心が結構重要です。
重たいブーツを履いてアクセルを踏むのではなく、
ちゃんと地面を蹴れる履きなれた運動靴を履いておく。
無理はしない、何かに要求されてもしない選択をする。
「圧」と「力む」は、似ているようで違う
ここも、自分の身体で何度も調整しました。
圧を作ろうとすると、なんだか身体を固めたくなる。
肩が上がるし、
首もガチガチ。
顎にも力が入って。
そうしていると、たしかに一瞬「強そうな声」は出るけれど。
その状態では曲がったり他の柔軟な動きが出来なくなる。
車で言えば、ハンドルまで力いっぱい握り締めている状態です。
歌詞に、「White knucle tight」となっているところ、
「拳の関節が白くなるほど、きつく握りしめて!」
のところくらいにしておこう、となります。
直線ならまだ走れる。
でもコーナーへ入った瞬間、操作が遅れないほうが良い。
『Fuel』には直進する力だけでなく、急に方向を変えられる柔らかさが必要です。
中心には圧を残す。
でも、その周りは出来るだけ動ける状態にしておく。
このバランスを探します。
圧力は、次の動作のためにある
結局、ここでも目的は「太い声を出すこと」ではなく、
圧を作るのは、
次の言葉を飛ばすため。
子音を破裂させるため。
一瞬止まるため。
また加速するため。
そしてあるときには、コーナーを曲がるため。
つまり圧力そのものも、音色を格好よくするための飾りではなく、
曲を動かすための立派なエネルギー
なのだと考えます。
ここまで来ると、『Fuel』というタイトルが妙にそのまま身体の話に聞こえてきます。
燃料は、ただ大量にあればいいわけではない。
燃焼させる場所があり、
圧縮する工程があり、
点火する瞬間がある。
そして初めて、車が前へ進む。
私が『Fuel』で探している声も、
たぶんそれとよく似ています。
3.Take the corner──歌でドリフトする
『Fuel』を練習していて、私が特に面白いと思ったのが、
「曲がる」感覚
です。
この曲は、とにかく前へ進みます。
アクセルを踏む。
加速する。
また踏む。
普通に考えれば、その勢いのまま一直線に突っ走っていきそうです。
でも、実際にはそうではない。
ところどころで、声の向きが変わる。
前へ飛んでいたものが、一瞬だけ横へ滑るような感覚があります。
私には、それが車のドリフトにかなり近く感じられました。
速いまま、曲がる
最初は、
「ここ、シフトダウンしてるのかな」
と思いました。
でも、何度か歌っているうちに、
いや。
これは速度を落として安全に曲がっている感じではない。
勢いを残したまま曲がっている。
そっちだな、と。
車体そのものは前へ行こうとしている。
でもハンドルを切る。
タイヤの向きと、車体が進もうとする方向が一瞬ずれる。
少し横へ滑りながら、
それでも前へ抜けていく。
ドリフトです。
声だけが、一瞬横へ滑る
『Fuel』では、バンド全体が強烈に前へ進んでいます。
その上に乗って、ボーカルまで全部を真正面から押してしまうと、私の場合は曲が一本調子になります。
だから、声だけをほんの少しずらす。
拍の真正面に毎回置かない。
少し前へ出る。
引っかける。
一瞬だけ後ろへ残す。
そしてまた前へ戻る。
この小さなズレによって、
バンドは直進しているのに、声だけが一瞬横滑りする。
そんな感覚が生まれます。
もちろん、本当にテンポから外れるわけではありません。
むしろテンポが身体の中にしっかり入っているからこそ、少しズラしても戻ってこられる。
これはJazzやFunkを歌うときにも、私には馴染みのある感覚です。
前傾しているから、曲がれる
『Fuel』のボーカルには、全体としてかなり前へ倒れ込むような推進力があります。
次の拍が来るのを待ってから声を出すというより、
次の拍へ身体の方が先に行こうとしている。
そんな感じ。
でも、ずっと前へ倒れ続けたら、いずれ転んでしまうので。
そこで、ときどき横へ逃がす。
あるいは一瞬だけブレーキをかける。
それによって、また次の加速が出来る。
私はこの曲を歌うとき、
「前へ、前へ」だけではなく、
前へ行く力を、どこで別方向へ逃がすか
についても考えています。
歌詞に「Take the corner」が出てくる
ここまで車の話をしていると、
この言葉が出てくるのが、なんだか可笑しくなってきます。
Take the corner.
曲がれ。コーナーを行け。
もちろん、私が感じている「ドリフト」は、
この歌詞を説明するためにJamesが意図的にそう歌っている、
と断定したいわけではありません。
ただ、曲全体が持っている運動と、言葉の世界が不思議と一致している。
『Fuel』には燃料が必要である。
エンジンがあり、アクセルがある。
スピードもそこそこある。
そしてコーナーまである。
だったら私は、
歌でも曲がってみたい。
そう思いました。
ドリフトするには、グリップが要る
ここで、前の「子音」の話へ戻ります。
車が完全に滑ってしまえば、ただのスピンです。
ドリフトは、滑っているように見えて、どこかではちゃんと路面を掴んでいる。
歌も同じで、拍から自由になるためには、
拍を失ってはいけない。
本番では、1234の4拍の3拍めで。
常に片方の足で、バンドの皆さまのタイム感と同期していました。
その上で子音をズラす、母音を少し引っ張る、
フレーズを前へ突っ込ませる、
ほんの一瞬だけ後ろへ残る、
それでも身体の中では、拍がずっと鳴っている状態を感じておく。
いつでも帰って来れるようにしておく。
私にとって子音は点火装置であると同時に、
ここではタイヤのグリップでもあります。
Jazzで覚えたことが、Metallicaで使える
そして、ここが私にはかなり面白いところです。
普段Jazzを歌っていると、
「拍に合わせる」だけではなく、
拍の前や後ろ、その間。
どこへ言葉を置くかを、かなり意識します。
Funk系なら、さらに身体そのものが細かいグリッドを感じている。
それを私はまさかこんなところで、
Metallicaを歌うときにこんなに使うとは思っていませんでした。
Jazzの歌い方をMetallicaへ持ち込んで、Jazz風にアレンジしたいわけではありません。
そうではなく、
JazzやFunkで育ててきた身体の機能が、『Fuel』を走らせるためにも使える。
ということです。
これもまた、私なりの「移植作業」。
Jamesと同じ車には乗れないからと、
でも私は、これまで別の道をずっと走ってきました。
そこで覚えたアクセルの踏み方も、
ブレーキの使い方も、
コーナーへの入り方もある。
だったら、それを使ってみよう。
同じコースを、違う車で走る。
そしてコーナーでは、ちょっとくらい、
横滑りしてみてもいいのでは?と余裕が出てきました。
4.声を荒らすことと、喉を壊すことは違う
『Fuel』を歌うとなると、もうひとつ避けて通れないものがあります。
声の「荒さ」です。
James Hetfieldの声には、
きれいに整えられた声だけでは出てこない質感が魅力でもあります。
ボーンと重たい金属をコンクリートに落としたような、ザラついた音。
金属と金属、あるいはコンクリート何かが擦れるような響き。
自分が演奏するギターのリフを割ってしまうような打撃。
世の中に噛みつくような捨て台詞。
ときには、声そのものがエンジンの振動音みたいに聞こえる。
これを全部取り払って、つるんとした声だけで『Fuel』を歌うと、
おシャンティでクールに聴こえる??っぽいけど、
私にはどうしても物足りない。
どうやってあんな風に声を荒らせばいいのか。
ここでも答えは、
そのまま同じことをする、ではありません。
「苦しそう」と「苦しい」は違う
ロックの歌唱には、ときどき、
苦しそうに聞こえることがあります。
喉が裂けそうにシャウトしている。
限界まで叫んでいるように聞こえる。
そんなときでも、
そう聞こえることと、本当に身体を壊しながら歌うことは別です。
私は『Fuel』の荒さを、
「喉へどれだけ負担をかけられるか」
という勝負にはしたくありません。
欲しいのは、傷ではなく、
傷のように聞こえるテクスチャー。
荒々しさという結果が欲しいのであって、身体まで本当に荒らす必要はない。
「ずっと荒い声」にしない
そして、ここでも配置があって、
最初から最後まで声をザラザラにする必要はない。
むしろ全部を荒らすと、
それが普通になってしまいます。パーツ、パーツでOK
きれいな音がある。
芯だけの音がある。
少し息の混じった音がある。
そこへ突然、エッジが入る。
だから荒さが目立つ。
私の場合は、
荒さそのものを声質にするというより、 必要な瞬間のテクスチャーとして扱う方が理に適っています。
これは、絵を描くときに全部を同じ筆で塗らないのと似ていて、
ザラザラした筆もあれば、
細書き用の筆で書かれる輪郭線。
太い線に、滑らかな面。
作品によって必要なものを選ぶ。
声でも同じことが出来ます。
なんだったら、
テーマ(メロディー)を浮き立たせるために、
色々工夫をするものです。
女性だから軽くする、でもない
ここは少し注意したいところです。
Jamesと身体が違う。
だから女性版は軽く、かわいく、きれいに。
……という話でもありません。
それでは単に、性別によって表現の幅を狭くしただけになります。
私にも、
噛みつくような声はあります。
低く押し出す声も。
金属的に飛ぶ高音も女性ですから自然に出ます。
荒く聞こえる質感も使える。
だったら、それはしっかり使ってしまって。
ただし、
Jamesと同じ方法でJamesと同じ結果を作る必要はない。
私の身体が持っている強さを探します。
「怒り」だけで歌わない
『Fuel』を荒い声で歌っていると、もうひとつ陥りやすいものがあります。
それが、怒鳴れば(シャウトすれば)ロックになる?
という罠です。
この曲には攻撃性が十分にあるようですが、
Jamesが最初から最後まで「怒っている人」には聞こえない。
もっと身体的な反応、衝動にフォーカスしているので、
走りたいんや、燃やしたいんや、もっと速く、もっと強く。
止まりたくない、止まったら死ぬ―...そんな衝動が先にある。
そうなると私も、怒りを作ってから声を荒らすのではなく、
推進力が大きくなった結果として、声の表面が荒れる
くらいの方がしっくりきます。
怒鳴ることが目的になると、身体は固まる。
身体が固まると、さっきまで出来ていたドリフトが出来なくなる。
これは困ります。
荒さも、結局は曲のため
ここまで考えてくると、
重量も、圧力も、子音も、タイムのずらしも、声の荒さも、
全部同じところへ戻ってきます。
それ自体を見せたいわけではない。
「こんな低い声が出ますよ」
「こんなに強く歌うことも出来ます」
「こんなデス声っぽいこともしないでもない」
という技能展示をしたいわけではありません。
必要だから使う。
『Fuel』という曲を動かすために、その瞬間に必要だから出す。
そして必要がなくなったら、手放す。
私にとって声色は、
自分が何者なのかを証明する看板というより、
作品のために取り替える道具
に近いのかもしれません。
だからJamesの荒い声を聴いて、
「私もこの声になりたい」とは、あまり思わない。
それよりも、
「なぜ、ここでこの質感が必要なんだろう」と考え、
理由が分かったら、
今度は私の道具箱を開ける。
同じものが入っていなければ、
似た仕事が出来る別の道具を探す。
そうやって『Fuel』の荒さも、
少しずつ私の身体へ移していきます。
あまりに飛躍し過ぎるのは、良くないです。
5.Jamesを手放す瞬間
ここまでにかなりJames Hetfieldを追いかけてきました。
何度も聴いて、映像で歌っているとの表情を見て、
声の出方を身体の動きから割り出していく。
子音を拾って、タイム感も拾って、
出来るところはその通りにやってみる。
「今のは何をやったんだ?」
と思えば、また戻る。
そうやって一度、出来るだけ相手のところまで行ってみる。
でも、どこかでいつかは、
Jamesを手放さなければなりません。
いつまでも隣で歌ってもらわない
曲を覚え始めた頃は、本人の音源と一緒に歌うことがあります。
これは、とても分かりやすい。
Jamesが前へ行けば、自分も前へ行く。
Jamesが止めれば、自分も止める。
Jamesが荒らせば、こちらもその質感を探す。
いわば、先生が隣を走ってくれている状態です。
でも、ずっとそれを続けていると、
自分一人になったときに、
「あれ?」
となることがあります。出来てる風で納得してしまいがち。
本人がいないと、どこへ言葉を置けばいいのか分からなくなる。
どこで圧をかけるだったかな。
どこで曲がるのかも見失い、
それでは、まだ身体へ入ったとは言えない。
一度、先生に帰ってもらう
そこで、ある程度まで来たら、
原曲ご本人の歌声から離れます。
伴奏だけで歌ってみる。
自分の声を録音して聴いてみる。
場合によっては、もっと簡素な音だけで歌ってみる。
すると、それまで見えなかったものが急に出てきます。
Jamesが歌っているから出来ていただけの場所。
自分の身体にも残った場所の差異に気づかされます。
Jamesから離れた瞬間、勝手に違うことを始める場所。
いろいろあります。
私はこの段階が、かなり好きです。
先生に一度、帰ってもらう。
そして、自分だけでやってみる段階です。
そこで初めて「自分の癖」も見えてくる
Jamesを消したからといって、
突然「純粋な私」が出てくるわけではありません。
Jazzで身につけたタイムが出てきたり、
Funkで使ってきた身体も浮かんでくるし、
昔聴いたSoulの声が重なってきたり、
誰かのフレーズの残像が混じり合って、
私自身の癖も出る。私の中には、
もういろんな人がいるわけで。
「誰にも影響されていない、本当の自分の声」
というものを、あまり探していません。
あったとしても、ごく素直な歌唱なのです。
元も子もないことを言うと、『Fuel』を歌うのに向いている人でもない。
素の私が出るエリアは...夏川りみさんの曲を歌ったり、
安藤裕子さん、小谷美紗子さん、矢野顕子さんとか、
学生時代によく聴いた洋楽アーティストなら、 リサ・ローブ、アラニス・モリセット、ビョークなど。
JAZZの中でもそないにドラマチック過ぎないバラードだったり、
ボサノバの中でも、ほんの日常を切り取って描写される作品、
そういうところに私の素(す)の声というのはあります。
あまり作り込むなよと言われる分野かもしれません。
逆に、元々の自分に備わっていなかった要素であっても、
『いろんなものを通ってきた結果、出てくる声』というのも、
まったく別ルートで存在します。
それら全てを含めて、現在の私の声となります。
ROCKというジャンルには反骨精神とか、怒りや衝動が含まれることが多く、
アーティストごとに、あるいは楽曲ごとにクセが違います。
その『スピリット(精神、理念)』ごと身体に引き受けるというのも、
歌う人の立場からすると、大切だなと思っています。
それでも、Jamesは残っている
本人の音源を聞くのを止めても、
受け取った気づきや自分なりに科学したことが消えるわけではなく、
子音をどこで強調するか、圧をどこでかけるか、
どこで前へ出るか、どこで気を抜いてもよくて、どこで曲がるか。
Jamesを観察して覚えたものが、身体のどこかに残っています。
それでも、「Jamesと同じにしなきゃ」ならない。
ここまで来たら、先生の仕事はかなり終わっています。
コピーしたものが、コピーではなくなるとき
昔、Sarah Vaughanのスキャットを、聴いたまま覚えて歌っていたことがあります。
私としては、
「Sarahがこうやっているから、こう歌っている」
くらいの感覚でした。
ところが、しばらくしてから、
「あれ、もうタカギちゃんのスキャットになってるわ」
と言われたことがありました。
当時は「そんなもんなのかなぁ」と思っていました。
今なら、説明もつくけど、
好きだからこそ何度も聴いて、真似しながら追いかけて、
身体で覚えるまで繰り返す。
そして、元の人がいなくても出来るようになる。
そのうち、自分の身体の都合に合わせて、ほんの少しずつ形が変わる。
気づけば、
借りてきた言葉が、自分の語彙になっている。
コピーと翻訳の境目は、
そんなところにあるのかもしれません。
忘れることまでが、練習
曲を覚えるという作業の最後には、
覚えたものを、いったん忘れるという工程があります。
正確には、
頭で思い出さなくても身体が使えるところまで持っていく。
子音のアタック感、トルクのような圧力。
嗚咽のようなアクセント。ブレスの位置。
そしてJamesの声色。
そんなものを一つひとつ頭の中から呼び出しているうちは、まだ下処理の途中です。
最終的には、音楽が始まったら身体が勝手にやっている。
そこまで持っていくところまでが個人的な調整。
そして、Jamesのいないところで『Fuel』を歌って、
それでも車が走るなら。加速して、止まってはまた飛び出して、
ちゃんと一人でコーナーを曲がれるなら。
そのときようやく、私はJamesから『Fuel』を受け取れた、
と言えるのかもしれません。
最後にやることは、Jamesをもっと聴くことではなく、
Jamesを忘れて『Fuel』を歌ってみるところ、まで。
忘れても残っているものがキラキラ✨と。
たぶん、それが今回、
私がJames Hetfieldという偉大な先生からもらった、
いくつかのジェム💎なのだと思います。
6.それでも、完成はしない
ここまで書いておいて、最後にこんなことを言うのもなんですが。
私による『Fuel』はまだ完成していないんです。
少なくとも、
「これで私の『Fuel』が完成しました」
などと、同じものをこの先ずっと再生していくことに意味もないです。
今日分かったことが、明日には変わる
今回、James Hetfieldの歌をかなり細かく聴いて、科学しました。
声帯の使い方や呼吸の圧。
子音にタイム、声の荒さ。
アクセルとブレーキ。
そして、コーナーでのドリフト。
自分の身体でも試して、
「ああ、私はこうすればいいのか」
と先生と自分とでは位置とか諸々、変更になった箇所があります。
でも半年後に歌ったら、
全然違うことを言っている、やっているかもしれません。
「いや~、あそこでは・・・そこまでせんでええか」
と、自分に突っ込んでいる可能性もあります。
これは教科書ではなく、ただの、
研究ノートだからです。
身体も、ずっと同じではない
そもそも、声という楽器そのものが変わります。
年齢を経ること、体調の変化。
そのときの筋肉量、そして人生経験。
その日にどれだけ眠ったか。
どんなものを食べて過ごしたか。
気持ちがどこにあるか。
同じ人間ですら、昨日と今日で完全に同じ楽器ではありません。
ましてや何年も経てば、
今は出ない音が出るようになることもあれば、
昔は簡単だったことが難しくなることもある。
その代わり、
若い頃には分からなかった一音の置き方が分かることもある。
完成した声を保存しておくこと自体が、そもそもむずかしい。
数々のイベントでLIVEをする意味はそこにある。
そのときその瞬間の私、あるいはみんなを観てもらうこと。
いろんな自分たちを覚えておいてもらえたら。
また、次に繋がっていきます。
一緒に演奏する人が変われば、歌も変わる
そして、前の記事の最後に書いた通り、
音楽は私一人で完成させるものではないので、
メンバーのコンディションによってその都度変わり、
会場が違っていたり、お客さんが変わると何かが生まれるものです。
同じメンバーでも、その日の演奏が違う。
だったら、私だけが、「私はこの歌い方です」
と固定してしまう理由もない。
下処理、下準備はしておく。一緒に音合わせも可能な限りする。
各々一人で出来る限り準備をしても、最後の仕上げは、
その日にみんなで取り掛かるのです。
「自分らしさ」を固定しない
今回の記事を書きながら、私は改めて、
「自分らしく歌う」
という言葉について考えました。
自分らしさというものを、
一種類の声色や、フレージング、
一種類のジャンルなどに特定の小さな範囲に固定してしまうと、
私の場合は窮屈で、とても苦しくなります。
いろんなジャンルを行き来することもある。
誰かの声を徹底的に真似して科学しようとする自分もいる。
そこから思い切り離れて歌うこともある。
どれが本物で、どれが偽物?ということもない。
全部、私という楽器の正しい使われ方です。
そして、次の曲ではまた1から始める
今回『Fuel』で見つけた方法が、
次の曲でもそのまま使えるとは限りません。
むしろ、使えない方が面白い。
次の曲では、今回とはまったく違う問題にぶつかるかもしれない。
Jamesのように圧力を考える必要なんてなく、
一音をどれだけ軽く置けるかで何日も悩むかもしれない。
リズムではなく、息をどこまで消せるかを考えるかもしれない。
あるいは、何も考えず歌った方が良かった、
という結論になるかもしれない。
ということで、この「声の研究ノート」シリーズでは、
曲が変われば、また最初からその作品を見ます。
自分の得意技を先に持ち込むのではなく、
まず、「この曲は、どう動いているんだろう」と考える。
そして必要なら、また誰かに先生になってもらいます。
ジェイムズ先生、ありがとうございました
『Fuel』をここまで考えることになるとは、
最初は思ってもいなかったけど。
ただみんなで、「いっちょ、取り組んでみましょっか。」
そんなところから始まった曲です。
でも、言葉にしながら追いかけてみると、
普段は「これは、こういうもんでしょ?」と曖昧にしていたことの数々が、
実は理屈に適ったことをやっていたんだなと納得しながら、頭の整理を進められました。
実はもっと細かい、技術面での具体的なやり方も...
一旦は言葉にして下書きに保存してあるのですが、
ここではあえてザックリした注意喚起や心の動き、身体感覚や考え方を中心に記すことにしました。
もう少し具体的なものは、ほんの1部分だけになりますが、
『6/28日FUMIEのライブ振り返り』の記事に載せてあります。
タカギが解説する、徹頭徹尾、
1曲丸々分の歌唱法としてまとめることも出来たのですが、
実技編は、また別の機会にしようと思います。
そして、バンドの皆さまと音を合わせていく中で、
ずいぶんいろんなところまで連れて行かれました。
私は元からにして、James Hetfieldにはなれないのですが、
これからも自分なりのやり方で向き合っていくでしょう。
ここまで振り返るまでの長い時間、
Jamesが『Fuel』の中でやっている仕事を追いかけたことで、
自分という楽器について、
前より少し分かったことがあります。
それだけでも、
この寄り道には十分な意味がありました。
そして、今回、
James先生から受け取ったジェムをいくつかポケットへ入れて、
また別の曲を旅していく。その繰り返しです。
そのときには、今回とは違う自分が、
また出てくるのだと思います。
この研究ノートも完成品ではありません。
2026年、今の私が『Fuel』を通って見つけたこと。
ひとまず、ここまでとします。
『声という楽器 -歌い手の研究ノート-』
Vol.1 Metallica『Fuel』
了。



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