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声という楽器―研究ノート Vol.1『Fuel』①

8月1日
読了時間: 11分

更新日:8月3日

① 作品を身体へ翻訳する


「どうして、そんなに早く曲を覚えられるんですか?」


そう聞かれることがあります。


「新しい曲を覚えるのが早いですね。」

「レパートリーがすごく多いですね。」


そんな言葉を掛けてもらうことも増えました。


11年前、JAZZ SESSIONに誘われるようになってから最初の3年間は、とにかく歌いたい曲のKEYを決めて移調譜を作り続けました。


一年ほど経つと、「沢山歌えるんですね」と言われるようになり、


二年ほどすると、A4クリアファイル二冊がパンパンになるほど譜面を持ち歩くようになって、


「えっ!?それ全部歌えるんですか?」


と驚かれるようになりました。


あるボーカルさんは、先生に二年間習っていて、「一年に二曲を課題曲として仕上げ、発表会で歌う」と話していました。


その話を聞いて、


「レッスンって、そんなに慎重に進むものなんだ。」


と思う反面、


「それでは私には間に合わない。」 「英語の発音や意味、譜面の読み方などは自分で何とかなる。」


とも感じました。


だから私は、現場で学ぶという方法を基本的に取り続けています。


もちろん、誰かに習うことが嫌だったわけではありません。

気になったことをピンポイントで先生に教えてもらうため、お時間を割いていただくこともありました。


しかし、11年前といえばまだ幼い娘がいて、シングルマザーでもあり、家計には限りがありました。


今振り返ると、あの頃は何よりも"娘ファースト"、そして"家族ファースト"だったのだと思います。


習うのは断念したとして、

「先生に言われた曲じゃなくても、自分の好きな曲を歌っていったらダメなんでしょうか。」

と疑問に思ったことを聞くと、


「でもタカギさん、歌う時に譜面を見てないじゃないですか。」

「それが難しいんですよ。」

と、何人かに言われました。


そのとき初めて、自分にとって当たり前だったことが、人によっては当たり前ではないことに気づきました。


私はメロディや曲の流れは比較的早く身体に入ってしまいます。


歌詞を覚えるまでは、自作の"あんちょこ"を譜面台に置きますが、譜面そのものを見続けることはほとんどありません。


歌詞が小さくて読みにくい、という理由もありますが(笑)、それ以上に、リピートやコーダ、ダル・セーニョを追いながら歌う余裕がない。


だから最初は、歌いながら曲全体の流れを身体に入れていく。


コードが違えば、その時に初めて振り返ればいい。


そんな覚え方をしてきました。


英語についても、


「意味を理解するところから大変でしょう?」


と言われることがあります。


確かに、日本で暮らしていると英語を使う機会は少なく、私自身も昔勉強したことを忘れている部分はあります。


それでも、JAZZスタンダードで歌われている内容は、恋愛や友情、人生についてなど、普遍的なテーマが多い。


極端に専門的な単語も少ないので、歌詞の意味でつまずくことはほとんどありませんでした。


それよりも私には、「覚える」という感覚自体があまりなくて。


好きな曲なら、自然に身体へ入ってきてしまう。


それほど好きでなくても、街やテレビで何度も耳にした曲なら、気づけば歌えたり、ハモれたりする。


身近で何度も聴いてきた先輩シンガーの十八番だと、歌詞まで浮かんできそうです。


逆に大変なのは、歌詞を"正確に"覚えることでした。


昔の私は、人前で歌うことを前提にしていなかったから。


家で歌う。


鼻歌を歌う。


間違えたら、「あ、そうだった。」で済む世界です。


そこから、人前で作品を表現する側へ回るには、大きな意識の変化が必要でした。


その入口になったのが、JAZZスタンダード。


今でも、新しい曲に取り組むときは、A4かA3一枚に収まるリードシートを作り、コード進行も鍵盤で確認します。


もちろん元のメロディも確かめて。そこまでは流れ作業のように習慣化。


でも、本当に時間をかけてやっていることは、それとは少し別のところにあります。


私は、一曲ずつ「身体へ翻訳する」作業をしているのだと思っていて。


例えばメロディ。


私は「ド・レ・ミ」で覚えている感覚ではなくて。


ここは上へ向かう。


もう少し上がる。


少し立ち止まる。


景色が変わる。


最後は、どんな風に着地するんだろう。


そんなふうに、音を身体の動きや風景として捉えています。



歌詞も同じで。


例えば **over** という言葉なら、何かを上から包み込むようなイメージ。


**into** なら、何かの中へ深く入っていく感覚。


言葉の意味と、身体の感覚と、声の響き。


全部がひとつになっていきます。


ここまでが、私の中ではワンセットです。



私は長い間、いろいろな音楽を聴いてきました。


結婚前の実家や自宅には1000枚近いCDがありました。


Bill Evans、Miles Davis、Wayne Shorter。


Ella Fitzgerald、Sarah Vaughan。


FMラジオから流れるジャズ。


THE BOOMの宮沢和史さんをきっかけに聴き始めたボサノバやラテン。


そうやって長年聴き続けていると、ジャンルごとの"文法"のようなものが身体へ入ってきます。


だから、


「次はこう進みそう。」


と思いながら聴いていて、


予想を裏切られると、


「なんで!?」


と嬉しくなる。


そしてまた身体が、その新しいルールを覚えていく。


その繰り返しです。



頭の中には、一曲ごとのロードマップがあります。


Googleストリートビューのように、景色まで見えている感覚です。


Aメロでは普通に歩いている。


同じ景色をもう一度通る。


少し坂を上る。


サビで急に視界が開ける。


最後はどこへ着地するのか。


AABAなのか。


AABCなのか。


コード進行も含めて、一つの風景として見えています。


だから私は、音程を暗記しているというより、


その曲の中を歩いている感覚に一番近いです。



その感覚は即興でも変わりません。


Scat Singingでは、好き勝手に歌っているわけではなく、


伴奏がどこへ向かっているのか。


共演者は何を表現したいのか。


それを聴きながら、自分の音を選び続けています。


感情は自由に乗せる。


でも、音楽そのものには我を通したくない。


私にとって音楽は、一人で完成させるものではなく、対話だからです。


LIVEやセッションでは、エンディングを事前に細かく決めることもできます。


でも私は、お互いが耳を澄ませながら、


「もう一周いこう。」


「じゃあ私はこう返そう。」


そんな会話の中で自然に景色が広がっていく瞬間が好きです。



もちろん、安全に終える演奏も大切です。


どちらが正しいという話ではありません。


音楽との付き合い方の違いなのだと思います。



ここまで読んでくださると、「曲を覚える」というより、「身体へ翻訳する」という表現の方が近い理由が、少し伝わったかもしれません。


そして、この考え方は今回の一曲だけの話ではありません。


なぜ私は譜面より風景で曲を捉えるようになったのか。


なぜ「人と同じように覚える」ことより、自分の身体で理解することを選んできたのか。


ここから先は、その背景にある考え方や経験について、少しずつ掘り下げていこうと思います。

模倣することと、自分の声で歌うこと


ここまで書くと、


「では、元の歌い手には似せないのか」


という話にもなります。


これは、私の中では少し複雑です。


私は元々、モノマネという芸に対してかなり肯定的です。


私の父は、石原裕次郎、森進一、五木ひろし、小林旭と、歌手ごとの声や歌い方の特徴を捉えて歌うことが得意な人でした。


妹も、身近な人からテレビの中の芸能人まで、男女を問わず突然ひと言だけ声真似をぶっ込んでくるような人です。


私自身も昔から、人の喋り方や声の特徴を拾うのが好きでした。


だから、モノマネ芸人さんを「人の真似をしているだけ」と思ったことはありません。


むしろ逆です。


声質、発音、息遣い、間、身体の使い方。


それらを観察し、自分という別の身体で再現する。


元々の声質が似ている人であっても、100%を目指し、100%へ近づき続けることは、一生かけても終わらない研究だと思います。


コロッケさんのように、時には特徴を大胆にデフォルメして「本人より本人らしい」120%の似顔絵のようなところまで持っていく芸にも、私は昔から脱帽してきました。


歌い手にも、大きく分ければ二つの入口があるように思います。


ひとつは、生まれ持った声質が偶然、ある歌手に近かった人。


「似ている」と気づいたところからその歌手を研究し、それを自分の芸や音楽へ育てていく。


もうひとつは、元々の声質がそこまで似ていなくても、


「この人の歌は、何によってこの人の歌に聞こえるのか」


を観察し、自分の身体で再構成できる人。


Ellaを歌えば「Ellaタイプなのね」と言われ、Sarahを歌えば「Sarah Vaughanタイプなのね」と言われる。


それでも全部を並べてみると、結局その人の歌になっている。


私はたぶん、後者に近いのだと思います。


だから私は、模倣すること自体にはほとんど抵抗がありません。


尊敬する歌手の仕事なら、むしろ一度は出来るところまで近づいてみたい。


声色も、フレージングも、タイムも、呼吸も。


「なぜ、この人はこう聞こえるのだろう」


と思ったら、自分の身体を使って試してみます。


ただし。


模倣できることと、模倣したものをそのまま自分のステージへ持っていくことは、私の中では別の話です。


私にも、何十年も「いつかここまで近づいてみたい」と研究している偉大な歌手の名演があります。


それを一人でコピーすることには意味がある。


けれど、それをそのままライブで披露したいかと聞かれると、必ずしもそうではありません。


練習室のレパートリーと、ステージのレパートリーは同じではないのです。


一方で、地域のお祭りや誰もが知る曲を求められる場所では、あえて原曲へかなり寄せることもあります。


それは私なりのサービス精神です。


「この曲知ってる」


と安心して聴いてもらえることが、その場では大切だから。


つまり私の中には、おそらく、


「原曲:タカギカオリ」のミックス配合


のようなものがあります。


今日は本家多め。


今日はタカギ増量。


トリビュートなら、さらに本家寄り。


作品そのものから新しく作り直したくなったら、思い切って配合を変える。


どれが正しいということではありません。


**何を、どこで、誰に、何のために歌うのか。**


それによって変わります。


そしてもう一つ。


声という楽器には、あまりにも大きな個体差があります。


骨格も違う。


声帯も違う。


共鳴する場所も違う。


身体の大きさも違う。


生きてきた人生まで違う。


だから私は、


**同じ音を出すことと、同じ仕事をすることは別だ**


と考えています。


James Hetfieldと同じ声を出せなくても、


Jamesが『Fuel』の中で何をしているのかを理解し、その機能を自分の身体で引き受けることはできる。


それは、外国語を一語ずつ置き換えることよりも、仕事の引き継ぎに少し似ています。


前任者から、


「この仕事はこういう目的で、ここではこういう動きをしている。あとはよろしく」


と渡される。


私はその仕様を理解して、自分の持っている道具で仕事をする。


だから結果として出てくるものは、前任者と同じでなくてもいい。


むしろ、同じ身体ではない以上、完全に同じになる方が不自然です。


Jazzについても、私は同じように考えています。


EllaやSarahの歌唱を模倣することは、Jazz Vocalの語法を身体で理解する非常に有効な方法です。


その伝統を否定するつもりはありません。


ただ、コピーだけをJazz Vocalの最終地点にすることには、私は少し違和感があります。


EllaもSarahも、誰かの歌を保存したからEllaやSarahになったわけではない。


先人から受け取ったものを、自分という楽器で鳴らし直した。


その結果として、後の人間が今度は彼女たちを模倣するほどの語法が生まれたのだと思います。


だから私にとって文化を継承するということは、保存することだけではありません。


受け取ること。

理解すること。

試してみること。

そして、ときには更新すること。


そこまでを含みます。


クセが強く、「これしかできない」ことが、やがて「私はこれでやっていく」という強さになる人もいます。


反対に、あれもこれも出来てしまうために、「私はこれでいく」と一つに決められない人もいます。


私は後者なのかもしれません。


だから私が探しているのは、


「本当の私の声はどれなのか」


という一つの答えではありません。


この作品には、自分の中にあるどの声を使うのか。


その選択なのだと思います。


私の声は、誰の影響も受けていない純粋無垢な声ではありません。


これまで好きになり、聴き、真似し、失敗し、解剖し、身体へ取り込んできた、たくさんの人の仕事が混ざっています。


その集大成が、今の私の声です。


そして今回。


そこへ新しく入ってきた先生が、James Hetfieldでした。


だから『Fuel』で私がやろうとしていることは、


Jamesになることではありません。


まず一度、自分を邪魔者扱いするくらい脇へ置いて、


「この人はいったい、この曲の中で何をしているんだろう」


と観察すること。


そして、受け取ったものを自分の身体へ持ち帰ること。


ここから先は、その引き継ぎ作業について書いていきます。

 
 
 

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