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自分の言葉で喋る

執筆者の写真: Keiori TakagiKeiori Takagi

娘は今からピアノ。終わったら次ドラム。全然練習しない。しなさいよとはたまに言うけど、圧力はあんまりかけない母。小6だから1人で行く、一緒に行ったりしない。教育ママではない。教育ママに育てられた反動か?休みがなかった少女時代について、中3でブチ切れたからイヤなのだ。

先日娘は修学旅行から帰ってきた。思い出は帰ってからすぐ、1時間余りかけて聞いた。私の好きな落語みたいだった。身振り手振りがついて、娘の語彙力で、知らなかったことに対する観点、立ち位置が明確だった。広島で語り部をしてくれた土居さんの描写が良くて。紫色の髪で個性的な出で立ちのマダムだったらしい。

『これは!もぉ!ねっ…戦争なんです!!』の言い方が腕を上げて両手で何かを持ち上げ投げるようなジェスチャー付き。感情こもってて凄かったらしい。すごい語り部さんだね。お昼休憩も食べよう思ったらクラブ、なに入ってるの?ん?と聞かれ、ゆっくりお茶飲む時間があるようなないような。

爆発的に感情的に喋ってるから娘達があっけにとられているあいだに、じゃ次ってもう次の現場に移るからメモを取る時間があるようなないような…まるでコントやんか。しかし学校の授業でも、同じ教科なのに聞いてて面白い先生と退屈な先生はあるから。いい語り部さんで良かったね。

娘は乳児の頃から会話が成立する。言葉を持つ前からコミュニケーションが出来て、気持ちが通じ合わないと思ったことはあまりない。やっと1人で立ち歩くことが出来るようになった頃、父と母のけんかの仲裁をしたことがある。言葉を持ってからは、絵本とかの大人でも説明が難しい気持ちを汲み取ることがある。驚く。

ガラスの里というところに行ったらしい。娘達の会話が好き。いや~メルヘンなとこやわ~と娘は言い、メルヘンってなに?と問われ、要するに絵本のお話に出てきそうな感じやんか~✨と語る。子どもたちだから説明足らずなとこ、世間知らずなことはたくさんある。でも自分たちの言葉で語ろうとする。

娘達、ばかっぽく思われようがかまわず、そのまま大人になってほしい。じゃないとどっかで誰かが言ったセリフや起承転結に、一人称変えただけの完コピするしかなかったり、『○○行った。良かった。〇〇食べた。おいしかった。』みたいなことしか言えなくなる。

話が少しそれるが、しばらくSNSに自分の近況やらUPするのをやめていた。もちろん忙しくしていたからというのもあったがこれも理由の一つ。私が一から組み立ててサゲ(落ち)までつけた投稿に似たやつを上げてる人が次々出てくる。何回もやからもう、なんか怖っ!ってなって。

しかしキレが悪い。私やったら全く違うアプローチで文章組み立てるのに、一回添削させてってほんま。インスピレーションだけ持っていけばいいのに、あまりにも個性がなさ過ぎでないかい?面白いのが音楽の話題のあとに、歌やってる人ばかり。100%そう。なんか心の闇を見ちゃうというか…続くと食傷気味なった。

語彙力、オリジナリティのなさで若者の言葉をどうかと一括りに意見するも、個性がなくなってる大人はどやねんと。子どもは本来すごい表現力を持ってるはず…なんだけど、社会に出る前に少し没個性になるみたいだわどうしても。

しばらく静かにしとく時期はあるだろう。大人になっても矛盾だらけを整理していくのが仕事になるわけで。理不尽なことばかりでも自分なりの切り口で、一貫性を持ち続けてほしい。それ、持つ持たないは、日々の気づきや周りの人との接点、関わり、そして考え方の蓄積だわな。

紫の頭の語り部、クールやわ。私もそんなおばあちゃんになれるように精進しよう。だってすごい影響力。見習うおうじゃないの。


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