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誰かに勝たなくても、自分の仕事が成立しているということ③

4 日前
読了時間: 8分

第三部 39人兄弟の大家族

第二部では、いろんな人間関係をつい一枚の盤の上で考えてしまいがちだけれど、

「そもそも同じ盤に乗っているとは限らない」

という話を書きました。

歌の世界でも、人間関係でも、仕事でも。

誰かがこちらを勝手にライバルだと思っていても、 こちらまで同じリングに上がる必要はない。

しかも現実はオセロみたいに64マスしかない世界ではなくて、盤そのものを増やすこともできる。

となると、誰かが目立ったからといって、 自分の価値が減るわけではない。

ここまで書いたところで、私の頭はまた奈良市議会の二人に戻ってきます。

ふと思ったんですが、

いやいや。

そもそも、二人だけちゃうやん。


奈良市議会には、39人の議員がいます。

ということは、 桃栗さんとニューカマー氏の二人だけを見ていたら、あと37人いるわけです。

39人兄弟の大家族みたいなものかもしれない

ものすごく雑~な比喩になりますが、

私は奈良市議会を見ていると、ときどき

39人兄弟の大家族

みたいに見えてきます。

昔から家のルールをよく知っている兄姉がいる。

その中でも、きっちり宿題を出すタイプがいる。

人付き合いが上手い人もいる。

黙って自分の担当をやっている人もいる。

新しく入ってきて、

「これ、なんでこうなってるん?」

と、家の中のことを遠慮なく聞く末っ子みたいな人もいる。

当然、性格なんて合うわけがありません。

考え方も違う。

仕事の仕方も違う。

政治信条も違う。

でも、兄弟全員が同じ性格である必要なんてないんですよね。

「優等生」と「問題児」

この中で、私には桃栗さんとニューカマー氏の関係が、 ときどき、優等生の兄と、自由すぎる弟

みたいに見える瞬間があります。


もちろん、実際のご家族の話ではなく、あくまで例え話です。

優等生の方は、

「僕はちゃんと宿題やってます」

「時間も守っています」

「先生の言うことも聞いています」

「家のルールも知っています」

と。

そこへ、自由な弟がやってくる。

宿題の出し方すらよく分かっていない。

でも妙に目立つ。

人が集まる。

思ったことを、そのまま言う。

たまに危なっかしい。

それを見ている優等生の兄が、

「先生、見てくださいよ。こいつ、またこんなんしてますよ」

と言いたくなる。

気持ちは分からんでもないんです(笑)。

でも。

そこから、

「僕はちゃんとやっている」から 「ちゃんとやっていないアイツより、僕の方が評価されるべきだ」

に変わった瞬間、

少し話が変わってくる。



相手が評価されたら、自分の価値は下がるんやろうか


例えば、学校でもあると思うんです。


毎日きちんと提出物を出す子がいる。

テストも平均以上。


先生の言うこともよく聞く。


一方で、提出物は忘れる。

授業中も落ち着きがない。


でも文化祭になったら、突然めちゃくちゃ面白いものを作る。

みんなを巻き込む力がある。


そこで優等生の子が、

「あれはすごかったな」

と言えるか。


それとも、

「それでもアイツ、昨日の宿題出してませんでしたから。」

と言い続けるか。


ここに、私は大人の成熟度みたいなものが出る気がします。

相手に、自分にはないものがある。

でも、

それを認めたからといって、自分の価値が減るわけではない。

ニューカマー氏に発信力があるからといって、

桃栗さんが長年積み上げてきた市政経験が消えるわけではない。

桃栗さんが議会のルールを知っているからといって、

ニューカマー氏にしか拾えない市民の感情や注目が消えるわけでもない。

本来は、

両方あってええやん。

と思うんです。

ベテランには、ベテランにしかできないことがある

むしろ、私が桃栗さんを見ていて惜しいなあと思うのは、

長くやってきた人にしかできない役割があるはずだからです。

新人が、

「これ、なんでこうなってるんですか?」

と聞いたら、

「これは昔こういう経緯があってな」

と説明できる。

「でも市民から見たら分かりにくいです」

と言われたら、

「それは確かにそうやな。改善できるか聞いてみよう」

と返せる。

これ、強いですよ。

新人を叩き潰すより、

新人が投げる、まだ荒削りな問いを、 市民にも議会にも通じる制度の言葉へ翻訳できる。

それができる人の方が、ずっとベテランらしい。 逆にニューカマー氏の方も、

「古い議会は全部ダメだ」

ではなく、

「この人は長くやってるから、ここは聞いてみよう」

と使えばいい。

本来は、こういう関係だってあり得たはずです。

実際、最初の頃は、そんな片鱗も見えていたわけですから。



「先生、アイツまたやってます」が政治の中心になったら

私がもったいないと思うのは、

二人の関係が長引くうちに、


市政そのものよりも、

「相手が何をしたか」

が前に出るように見えることです。

ニューカマー氏が何かする。

桃栗さんが反応する。

桃栗さんが投稿する。

ニューカマー氏が反応する。

支持者が動く。

また投稿が増える。

そうなると、

市民から見える画面の中心が、

奈良市の課題ではなく、

二人の関係性

になってしまう。

でも、奈良市には他にも山ほど課題があるでしょう。

ゴミ処理。

道路のこと、

福祉について、

教育も、

観光も、

防災も、

子育てだって、

高齢者のことだって。

地域の交通状況や

商店街、

空き家、

地域文化。

それぞれの議員が、それぞれのテーマを持って仕事をしているはずです。

なのに、外から見ている市民が

「奈良市議会といえば、あの二人が揉めてるとこ」

という印象になってしまったら、

それは議会全体にとっても、あまり得ではない。

いや、兄弟ほかにも37人おるやん

ここで、私はついつい思ってしまうんです。

いや、兄弟ほかにも37人おるやん。

と(笑)。

39人もいたら、

もっと年上の人もいるでしょう。

もっと議員歴の長い人もいる。

同世代もいる。

違う会派の人もいる。

人間関係だって、それぞれある。

だったら誰か、

「もう二人とも、ええ加減にしとき」

と言わへんのかな、と。

もちろん、これは外から見ている私には分からないことです。

実際には、裏で注意している人もいるかもしれない。

個別に話をしている人もいるかもしれない。

だから、

「誰も止めていない」

と断言するつもりはありません。

でも少なくとも、外から見ている私には、

場を守る人の姿が、あまり見えてこない。

そこが少し気になります。

「どっちが悪い」だけでは終わらない人

私がここで言う「止める人」は、

単に、「喧嘩両成敗や!」

と言う人ではありません。

ニューカマー氏が大声で詰め寄ったなら、

「それはアカン」

と言う。

桃栗さんがSNSで支持者まで揶揄したなら、

「それもやり過ぎや」

と言う。

疑惑があるなら、

「正式な手続きで調べよう」

と言う。

事実が確認できていないなら、

「そこまでは断定するな」

と言う。

そして最後に、

「ほな、仕事戻るぞ」

と言える人。

私は、そういう人が「場を守る人」なんじゃないかと思うんです。

議会は、誰か一人の物語ではない

SNSというのは、どうしても主人公を作ります。

目立つ人がいる。

敵役がいる。

対立がある。

すると、

「今週はどっちが勝った」

みたいな物語になる。

でも議会は、本来そういう場所ではないはずです。

39人が、

それぞれ違う市民から票を預かって、

それぞれ違うテーマを持って、

一つの市政を動かしている。

だから、

誰も奈良市議会の主人公ではない。

ニューカマー氏も。

桃栗さんも。

もちろん、他の37人も。


みんな、その時々で前に出たり、後ろで支えたりしながら、

自分の持ち場をやればいい。

二人とも、もう少し奈良市を見たらええやん

だから、今の二人を見ていて、

私が一番言いたくなるのは、案外シンプルに、

桃栗さんには、

ニューカマー氏を見過ぎないで。


ニューカマー氏には、

敵を見過ぎないで。


そして二人とも、

もう少し奈良市を見たらええやん。

と。



ニューカマー氏が誰かに嫌われていることも。


桃栗さんが、誰にどう評価されるかも。


議会の中で誰と揉めたことも。


もちろん本人たちにとっては大きな問題でしょう。



でも、市民から見れば、

それだけが生活ではありません。


朝、ゴミを出す。 子どもを学校へ送る。 病院へ行く。 仕事へ行く。 その行き帰りに道路を使う。 バスに乗るかもしれない。 店を開ける。


観光客を迎える。


介護をする。


音楽をする。


そうやって、奈良市で暮らしていく。


政治家が見ているべきものは、

本当はその37人の同僚よりもさらに外側、


何十万人という市民の暮らし

なんじゃないでしょうか。



兄弟喧嘩は、家の外からどう見えるか


兄弟の中では、


「アイツが悪い!」


「いや、そっちが先や!」


というのは大事件です。



でも家の外から見たら、


「まだやってんの?」

で終わることもあります(笑)。



政治も、案外そういうところがあるのかもしれません。


本人たちにとっては、


名誉であり、正義。

評価であり支持者への影響力。

いろんなものが絡んでいる。

でも、市民からしたら、

「で、奈良市はどう良くなるん?」

という話です。

ここを忘れたら、どちらが勝っても意味がない。

そして、ここまで考えると、

私は逆に、


この二人、いや39人全員、もっと先へ行けばいいのに

と思うようになりました。


誰かを潰して前へ出るのではなく。


誰かの知名度を借りて名前を広げるのでもなく。


自分の仕事で、


「この人、最近何してはるんやろ?」


と、こちらから見に行きたくなるような人になればいい。


次は、その話を書こうと思います。


第四部へ

「隣の人を小さくするより、自分が大きくなりなはれ」


 
 
 

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