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執筆者の写真Keiori Takagi

陰気な人のどうしようもなさ

更新日:2020年1月13日

物事にはなんでも二極あって、陽もあれば陰もある。私ね、陰気な人ほんま遠ざけます。なんやったらもう挨拶を交わすようになって親しくなり始めから見極めたい。しかしいろんなしがらみがあって切るに切れない関係もあります、厄介。陰気な人は依存する相手を求めてるんですよ、同じ陰気なんよりも陽の人に。陽からしてみたら依存とかしたないしされたないからある程度にしとかないと、無駄に元気を吸い取られます。

明るく陽気で通っている私でも、立ち直りがたい痛手を被ることも長く生きてりゃあります。何度もある。そこでどうするかってことがそれぞれにかかっているわけです。『努めて』明るくするのです。それをしないとはなにごとか、という光景を見ます。そしてぞっとします。これを一蹴するときに出る私の口癖が『何事も辛気臭いのが一番あかん。』なんですよ。

でも世の中いろんな人がいるし、ちょっと惜しいだけなんちゃうかな。今は悪い時期なだけで、ほんの少しのことで変わるんちゃうかな、本来の自分を取り戻すんちゃうかなって頑張ってみるときもあります。隣で見てたらここ気を付けたらいいだけやんって答え書いてあるようなもんやから気づくように促したり。きっと自信がないだけなんやわって思ったら、じゃあ励まし続けようと思ったり。

あーなんとかプラスのパワーでその才能をパッと花開かせて気を楽に生きていけるようになったらなぁ~そしたらどんどんいろんなことを良い方向へ考えられるのではないかと、あの手この手で力を尽くすことがありました。でもある程度手を尽くして、もうあかんなって思ったら潔くパッと手を引く。行きついた結論、そういう性癖の人がおるんやからそっとしとこ…なんです。もう変えたらあかん。それか陰気がライフワークの人やと思わないと。

向こうは陰気でおり続けたいわけで、陰気な自分に同情してくれる心の広い人が引っかかるようにクモの巣作って待ってるわけです。そこへ同情して集まってくる余裕のある人を捕食するのが生業なわけです。何回もそういう人を疲れさせて、疲れさせて、また別の人捕まえて、また疲れさせて…この無限ループを成立させるロジックに長けている職人芸を持っているわけです。

陰気をベースにしながらも驚いたことに劣等感、妬み、嫉み、変なプライドとかはある。だから自分が捕食しているはずの陽気な人が元気だとムカついて仕方がないんです。福々しくて腹立つ、だから汚してやる、汚泥にひきずり下ろすタイミングを見計らってあの手この手でいやらしいことをしてきます。ほぼ同時に、陽気な人によってより一層引き立てもらおうという虫のいい考えに傾倒していく。

他の人の評価などあてにならない。やさしくてお世話になっているし…少なくとも私の前ではそんなんちゃうけどなぁとかどうでもいい。それは捕食されてないからである。利用できると思った相手にだけ、どす黒いところを見せる仕組みだから気づかなくて当たり前だ。せいぜい周りの人から見てとれるのは、不器用な人、デリケート、ちょっと辛気臭い人…などである。そうやって周りをカモフラージュしている。

辛気臭い=陰気なわけだけど、そこは距離を置いたほうがいい人か見極める重要な要素に違いない。本来の姿を見るにつれ態度が横柄になっていく。挙句の果てには、どんどん仕事持って来いよ、でもお前は目立たんでいいから。ずっと引き立て役やってりゃいいから、やれって言われてことだけやってりゃいいんだよみたいなところへ執着する。それが見え隠れした時点で疑問に思い離れさせてもらう。そこまでする義理は、私にはないのだ。

それでもたまにちょっと陰と陽が混ざったくらいのほうがバランス良いときあるんで~って一緒になにかすることもあります。でも、だいたい陽の私が吸い取られてるんちゃうかな。たまに、くらいにしとかないとパワーを奪われるばかりでそれが当たり前になっていって、私はあなたのおかあさんじゃないんですよというセリフが何度か頭をよぎりだしたら距離を置いたほうがよい。

陽気なだけじゃなくて母性のかたまりみたいなとこがある私に対して貪るように陰気さ、ネガティヴをぶち当ててくるのはきっと母親の愛情不足とかが原因なのでは。どんな自分であっても受け入れてほしいという赤ちゃん返りの様を見る。自と他の区別もあまりついていないのか、全部許されると思っているのか、自分はどう思われても関係ないと思っている恐いもの知らずの態度が、逆に社会一般的にみて恐い人になっているのに気づかないのか…。

そういう人は母性を喰いものにして生きている。なんに対しても歪んだ感情しか持てない。遊びに行った先でそういう人が混じっているだけで、こちらの気分まで沈んでしまう。だからそういう人がいるところには寄り付かないようにしている。どんな集まりが繁盛するかの反対をいく姿勢。陰気な応対、決まり切った紋切り型の笑顔の裏でパワハラ、セクハラが曲がり通る。客が聞いてるとこでブチ切れ、挨拶以外客を無視、等々…。

明らかにまずい、雰囲気がまずい。そのまた逆もある、表向き陽気に見えるけど中身が伴っていない場合。頭の中が全部筋肉で出来てるのかなってくらいプラスの言葉、態度で溢れかえっているように見えるだけで、実際には目の前に広がる問題を直視することができず、『これはね、こうっていったらこういうもんなんだよ。』『ふーん、そうなんだ!』みたいな、理屈ではなくそれが常識でしょ?みたいな理論で動いている。

それは陽気というよりは…何も考えていないというか何も結局は捉えられていないというか鈍感というか。限られた時間の中で誰とどう付き合っていくか、それはこちらで選ばないといけない。自分が自分のために使う時間やお金、人の怒号が飛び交ったり、誰かを貶めているのを見せられたり、そんなんは要らないのです。有意義に過ごすべきだ。

どうせなら粋でお洒落な集まりに出向きたい、かりそめで表面上だけやるんじゃなくてホントのやつ。そういう場所にお金と人は集まる。自分から路地裏のスラムみたいなカオスな場所に行きたい人などいないだろう。たまに事故で汚泥にまみれても、私は汚泥になり果てたくはない。人を汚したくて仕方がない人はかわいそうな人だ。ほんと、健全な精神を持てなかった一生に何を見てるんだろう。神に祈るよりほか、救いがない。

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